◇牧師室より◇

 サンパウロ福音教会の小井沼國光宣教師が説教してくださった。パウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられてもよいとさえ思っています」と語っている。パウロは異教のタルソスで生まれたのでギリシャ文化の中で育ったが、ファリサイ派の学徒としてユダヤ文化に浸っていた。へレニズムとヘブライニズムの二つの面を持っていたが、ユダヤへの思い入れは深かったのではないか。クリスチャンになってから、宣教途中、ユダヤ人から激しい迫害を受けながらも、同胞への愛はキリスト、神から切り離されてもよいと思うほどのものであった。

 パウロはエルサレム教会の窮状を助けるため、異邦人教会から献金を集め届けている。ローマ教会を訪ねた後、殉教を覚悟してイスパニア伝道を志していた。そのパウロはもう一度ユダヤを訪ねたいという故国への篤い思いがあったのではないかと、話された。

 日系ブラジル人の高齢者の子供たちは、経済の悪化のためアメリカに行く者もあり、日本に出稼ぎに行く者もある。移民として活路を求めた高齢者は、今になって子供たちを外国に送り出さざるを得ない。経済のグローバル化は人々を激しくし動かしている。彼らは複雑な思いで老後を迎えている。

 小井沼師は今年、還暦を迎えられるが、日本文化への傾斜が大きくなってきたと、パウロの同胞への思いと重ねて率直に話された。ブラジルでの宣教は高齢者問題を中心に、困難が多いことを実感させられた。

 翌日、眞樹子師が来られ、楽しい歓談の時を持った。老人のデイサービス「シャローム」は外国からも研修にくるまでになったそうである。