◇牧師室より◇

 母は地上の生を終え、天に帰った。母の一生は日本の現代史に翻弄された一庶民の生涯であったと思う。次男であった父は、国策に乗り中国に渡って、生活の場を求めた。母は、親戚で相談し一度も会ったことのない父の元に嫁いだ。九州の封建的な父に仕え、41女が与えられた。中国では決して豊かではないが、安定した生活であった。

 日本の敗戦によって、着の身着のまま引き揚げた。戦後の貧しい中、両親は懸命に働き、子供たちを育てた。折りしも、日本は高度経済成長期に入った。引揚者で生活の基盤がなかったため、子供たちは成長と共に次々と都会に出て行った。両親だけが残された。そして、父も亡くなり一人になった。河川工事で家を失った時、子供を頼る「呼び寄せ老人」にならざるを得なかった。激動の昭和史をそのままなぞったように生きてきた。

 子供から見ても、辛く厳しいことが多くあったが、母は涙を流すことはほとんどなかった。それを聞くと「涙は夢の中で流す」と答えた。気丈に生きた明治最後(44年生)の女性であった。働きづめの生活であったが、子供たちを愛し、愛されて「良」の人生と言えるのではないか。敬意を込めて感謝したい。

 今年の一月末、心筋梗塞に襲われ緊急入院した。一ヶ月、一進一退を繰り返しながら衰弱していった。召される前の数日間、体と心の苦しみを訴えた。それに答えられず、ただ見守ることは本当に辛かった。93歳であるから、天寿を全うしたと言えよう。寂しさはつのるが、安堵したところもある。皆さまの母へのご親切とお祈りを心から感謝いたします。