◇牧師室より◇

 「211県民の集い」について報告したい。戦前の大日本帝国憲法時代の211日は「紀元節」であった。この祝日は、初代の天皇とする神武天皇が日本国を平定し、即位した日という歴史的に根拠のない神話に基づいて作られた。この日には戦果を上げようとして、戦死者が特に多く出た。戦後はもちろん廃止された。ところが、1966年、多くの反対を押し切って「建国記念の日」と制定された。

 私たちの日本基督教団は、根拠のない「建国記念の日」に反対し、この日を「信教の自由を守る日」と逆命名した。以来、教会は211日には信仰の自由、平和を求める集会を守ってきた。私は211集会に必ず参加するように心がけてきた。神奈川教区においては、それぞれの地区で集会を開き、横浜地区は教会だけでなく、23の民主・平和団体と共催して開いている。多くの団体が共催しているのにもかかわらず、参加者が少なく、クリスチャンも多くはない。教区音楽祭には何百人も集まっているようだが、私は「信仰の自由が奪われると好きな讃美歌も歌えなくなりますよ」と脅している。

 今年の「211県民の集い」は例年になく、大勢の人が参加した。自衛隊のイラク派兵が関心事になっているからであろう。

 フリージャーナリストの亀井淳氏が「戦争とマスメディア」と題して講演をした。戦争をするためには、国民の支持を得なければならない。そこで、他国に対するネガティブキャンペーンと自国の奮戦美談をショウアップして報道する。米国の報道はこれに尽きる。私は、イラクの米兵の実態は傍若無人で、民主化など達成できないと聞いている。

 亀井氏は、新聞やテレビで報じる諸々の事例から話された。日本のマスコミも次第に政府よりに擦り寄った姿勢に変わりつつある。毎日、朝日新聞も社説が、小泉首相の「備えあれば憂いなし」に引きずられている。また、旭川市で始まった自衛隊員の無事帰還を願う「黄色いハンカチ」運動は胸に「黄色リボン」をつける運動に発展し、戦時中の「千人針」を思い出させ、反対できなくなっている。メディアと世論が競合しながら、戦争体制の既成事実が作り上げられている、と分析された。

 イラク派兵の自衛隊員の情報は厳しく規制されている。人道支援に行くのなら、大々的に活動を宣伝するのが当然ではないか。メディアが権力に支配された戦時中の「大本営発表」にしてはならない。