◇牧師室より◇

 統一協会の女性信者が、協会脱会の強要や拉致監禁されたとして、自分の両親や、協力した黒鳥栄(戸塚教会)副牧師、清水与志雄(名古屋東教会)牧師などを訴えていた裁判の判決が出た。横浜地方裁判所は「主文。原告らの請求をいずれも棄却する」と判決し、被告側は全面勝訴した。裁判所は @ 原告が暴行を受けたと主張する直後、原告側はそのような訴えを何らしていない、A 原告の女性が家族たちと一時的に生活を共にしていたのは、被告側の説得に応じたものと認められる、と判断している。弁護団は「判決文には、統一協会の反社会性について触れてないが、統一協会の問題性を十分裁判所が理解しているから、こういう判断になったのだろう」とコメントしている。

 私は時間の許す限り裁判の傍聴に行った。深刻な裁判であった。娘が両親を訴え、しかも両親には負えない賠償金を求めていた。両親は「95年に(娘である原告が)統一協会に入信してから9年、あれから泣かない日はない。すっかり3人とも人生が狂ってしまった」と語っている。最高裁判所まで争うのであろうが、引き裂かれた家族の苦しみ、悲しみは終りそうにない。

 統一協会問題は一時期、霊感商法で取り沙汰されたが、最近はマスコミで取り上げられることは少ない。しかし、現実は手を変え、品を変えて盛んに活動し、若者だけでなく、全ての層に浸透している。今なお被害者は後を絶たない。私は横浜に来て、3人の協会員の話を聞いた。その内の一人は慶応大学の学生で韓国にも行き、統一協会のエリート候補だったようだ。一緒に「原理講論」などを読んだが、私の手には負えないと専門の川崎経子牧師に脱会指導を依頼した。後で、両親と本人が見えて脱会したとの報告を受けた。私は「あなたのお父さんは文鮮明ではなく、この方ですよ」と父親を指さしたら、笑っていた。

 時代の不安が、恐怖を伴った強い主張になびく精神状況にある。個を持ち得ず、絶対的と洗脳された集団に帰属して安心を得たいのである。しかし、それは自己喪失と隣人不在の中で、人格が破綻されていく。

 キリスト教は神の前に一人で立つ。そこに誰からも犯されない、神に愛されている「私」を確認する。その私が愛において、共に生きる隣人を見出していくのである。