◇牧師室より◇

 ヴェトナム戦争の時、記者やカメラマンが戦争の実態を伝えた。その報道によって、米国民の間に反戦気運が高まった。これを警戒した米国政府は湾岸戦争の時には、徹底した報道規制を敷いた。それだけでなく、生まれたばかりの赤ちゃんをイラク兵が床にたたきつけて殺したとか、海鳥が油にまみれて苦しむ映像などを流し、偽りの報道でイラク人への憎悪を駆り立てた。

 ところが、今回のイラク攻撃には600人の従軍記者を同行させた。彼らは米軍の保護の下、攻撃する側からの目で見た報道で、その限界は当初から言われていた。

 韓国人女性の従軍記者・姜仁仙氏の「砂漠の戦場にもバラは咲く」を読んだ。韓国人、そして女性の視点に興味を惹かれたからである。

 クウェートからバクダッドまで進撃した米陸軍兵も死の恐怖に怯えていた。特に生物・化学兵器の攻撃を怖れ、警報が鳴った時の慌てようは尋常ではない。そして、砂漠の砂塵は想像を越える困難があり、女性は尚更であったらしい。その砂漠に張られたテントの横の花壇に赤いバラが咲いたという。砲弾を打ち交わす激しい戦闘には遭遇していないが、戦場の苦闘は伝わってくる。その中で、軍関係者から「戦争を経験するということは、以前の自分に戻れないということだ」と繰り返し言われたと書いている。自分の周りで近しい人が死に、傷つき、また凄まじい破壊を体験するのだから、死生観・歴史観は変わるだろう。

 最後の頁の告白に深く感動した。「告白するが、私は『強者の誠意』よりは『弱者の試練』に共感した。私はフセインをそのままにはしておけないと、25万の大軍を率いて中東に駆けつけた米国よりは、独裁に苦しみ、そのうえ米国の攻撃にさらされて苦しんだイラク人たちのほうに心情的にはより近かった。それは私が反戦主義者や博愛主義者であるからではない。私がただの一度も武力で他国を制圧したことのない弱い国の国民だからだ。望みを達成するために、力で他国を攻撃できるという考えは、頭では理解できるが、心がそれを受け付けなかった。この戦争の名分の正当性とは無関係に、侵略は侵略でしかない。究極的な平和に向かう手段としての戦争と言っても、戦争は結局、殺人と破壊でしかない。だから『良い戦争』はありえないのだ。」武力で他国を侵略したことのない韓国人の誇りと苦しむ者への共感が伝わってくる。

 日本は戦後、戦闘での死者は出していない。武器輸出三原則で歯止めもかけてきた。今回の自衛隊の派兵でイラク人を殺したり、自衛隊員が殺されたりしたら、その後の日本のありようが全く変わってくると危惧される。