◇牧師室より◇
召された井上良雄先生を中心に、数名の牧師たちで「時の徴」という小冊子を出している。「時の徴−
102号」は井上先生の追悼と教団の「信仰告白」問題を取り上げている。教団は
1941年、戦時体制に向かう政府の要請によって合同して誕生した。それは必然的に「皇国史観」におもねるキリスト教信仰であった。教会にとって大切な信仰告白は制定されず「教義の大要」で出発した。太平洋戦争を聖戦として協力し、教団指導者は神社参拝(偶像礼拝)し、他国のクリスチャンにも神社参拝を儀礼として強要した。アジアの諸教会から大きな不信と反発を買った。戦後、天皇制国家体制に迎合したことを悔い改めることなく、米国のキリスト教の流行に乗り換えた。旧教派に戻った教会もあったが、合同教会の教団に留まる教会が多かった。
1954年、戦後9年経って、ようやく現在の「信仰告白」が制定された。この信仰告白は教団形成に少なからず貢献したことは事実である。しかし、皇国史観に埋没した「教義の大要」の焼き直しで、キリスト教神学を教義的になぞった告白文である。「聖書は…信仰と生活の誤りなき規範なり」という告白はブッシュ大統領と同じ「原理主義」なのかと誤解されてしまう。
1967年、教団議長・鈴木正久牧師の名で「第二次大戦下における日本キリスト教団の責任についての告白−以下(戦責告白)」というアジアへの罪責と平和を希求する告白が出された。重い告白である。
現在の信仰告白の意味を認めつつ、戦責告白をふまえ、第二の信仰告白が求められている。教団は固定的な「信条教会」ではなく、絶えず自らを改革する信仰告白を生み出していく「告白教会」である。
まず戦争中、イエスのみを「主」としなかったこと、ホーリネス教会を誤ったキリスト教として「脱会」させたこと、そして敗戦時に沖縄支教区を見捨てたことなど、教団史の過ちを率直に懺悔することである。自己の罪を悔い改めることが「新生」を約束する。現在の信仰告白は、国家や社会との関わりを責任的にどのように果たすのかが告白されていない。「ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたもう」という信仰義認はプロテスタント教会の根幹をなす告白である。しかし、個人的、内面的に捉えられ他者との生きた関係が見えてこない。そして、教会に関する告白も教会が何をするかは告白されているが、何のために立てられているかが明確でない。
この時代への宣教のため、自らの罪責を悔いて和解を、不安と怖れに対して喜びと希望を告げる新しい信仰告白が必要だと思う。