◇牧師室から◇

 クリスマスおめでとうございます。「911」以降、世界は暴力の嵐が吹き荒れています。無残に殺された人々の無念さ、傷ついた人々の痛み、その家族の悲しみ、怒りはいかばかりでしょうか。今年のクリスマスは暗い気持ちで迎えざるを得ません。私たち人間の底知れぬ深い罪を見せられます。しかし、だからこそ、平和の主、罪の贖い主イエス・キリストのご降誕の意味が輝きを持って迫ってきます。

 1225日をご降誕日に定めたのは、4世紀ころに行なわれていた異教の「太陽神」の祭りに対抗して、主イエスこそが「義の太陽、世の光」であるとして、この日に当てたものと考えられます。代々の教会は時代の価値に抗して、主イエスに人間の救いが現されていると信じ、証ししてきました。

 ご降誕の出来事はマタイ福音書とルカ福音書が記しています。この記述は歴史的事実ではなく、福音書記者の信仰告白でしょう。主イエスの生涯において示された福音を記すに際して、プロローグ(序章)として降誕物語を書いたのです。それは、記者たちの豊かな信仰的想像力(告白)で、旧約聖書の引用と歴史的事実をふまえながら、壮大に描かれています。プロローグを読めば、どの個所からも主イエスによる福音の内実が浮かび上がって受け取れるように書かれた喜ばしい記述です。

 幼子イエスは人から排除され、「飼い葉桶」に寝かされました。これは地上の栄誉ではなく、十字架に降り、人間の罪を贖い赦す主イエスを暗示しています。罪の赦しなくしては生きられない人間への神の愛と真実の宿るところが「飼い葉桶」なのです。また、羊飼いたちが野宿をしていた時、栄光に包まれた天使の大群が「神に栄光、地に平和」と神を賛美しました。こんな美しい光景はあるでしょうか。私たちが神の栄光を賛美する、その地に平和が実現していると告げています。羊飼いたちが最初のキリスト礼拝の光栄に与っています。そして、東の占星術師の異教徒にも幼子イエスのご降誕が示され、彼らは献げ物をもって世界の主としてキリスト礼拝をしました。

 主イエスは十字架にかかって死に、人間の罪を贖い、神からの赦しを宣言されました。このイエスを主キリストと崇めるところに、罪赦されて全ての人と「共にある」平和がある。これを信じ、喜び、証しするのがクリスマスです。