◇牧師室から◇

 衆議院議員の総選挙が終わった。改選前に比べ、自民党が11議席減らし、民主党が40議席増やした。しかし、連立与党は絶対多数を確保し、政権を継続することになった。二大政党に集約されていくのであろうか。保守新党、社民党、共産党などの政党は皆、一桁の議席しか得られなかった。イラク派兵の危機感から、平和憲法9条の堅持を訴えた社民党、共産党は惨敗した。保守新党は自民党に吸収された。

 政治が変わるのではないかと期待されたが、投票率が60%に達せず、国民の政治離れが残念である。政治こそが国民の生活に直接関わるのであるから大いに関心をもって意思表示をすべきである。権利の放棄は自己放棄と等しい。政党を信頼できず、無党派層が増えている。無党派層の人でも、より悪くないと思える政党、人に投票できる。特に若者たちの無関心が気になる。無関心は時の政権を支持する側に必然的に組するものであることを知ってもらいたい。スポーツや芸能は多少の楽しみと気晴らしを与えるだけである。

 私の政治への関わりは三つのポイントがある。まず、物言える社会を確保することである。日本は発言できる自由な社会であると言われているが、今や決して、そうではなく物言えない管理社会になっている。教育現場における「国旗・国歌」の強要は凄まじい。権力による個人の魂への関与は人権侵害であり、個人の尊厳を奪う。個の尊重が発言の自由を保障する。

 二つ目は経済に関わる「自由」と「平等」の考えである。自由に力点を置けば、米国のブッシュ政権のように強い者勝ちという社会になる。平等に力点を置けば、弱者に関心を寄せる社会になる。ヨーロッパは「平等」に関心を払っていると思える。平等を目指す共生社会を求めたい。

 三つ目は「平和」に対する志向である。人間の罪の中で戦争ほど重いものはない。人を殺せば刑事罰が与えられる。戦争では多くの人を殺した人が英雄になる。こんな理不尽はない。最高の医療で、手厚い看病をしても、愛する人の死は耐え難く悲しい。空から降ってきたミサイルで体がバラバラになって殺された家族の悲しみ、怒りはどれほどのものかと想像する。戦争を回避し、平和を生み出す英知と勇気が何より政治に求められる。