◇牧師室から◇

 この10月は「伝道月間」として、4人の牧師に伝道説教をしていただくことになった。トップバッターは私である。私は伝道者になって37年になる。誇るべき何もないが、ひたすら牧師であろうと努力してきた。この年月、本当に嬉しいこともあった。イエス・キリストを信じ、見違えるように自立していく様を見ることは嬉しい限りである。また、かけがえのない友を得たことも嬉しいことであった。しかし、失敗をあげれば切りがない。自分の不信仰と弱さに挫折し、牧師にはなれないと幾度、悩んだことか。説教ができずに、ふて寝したこともある。妻は「あなたは欲のない人だから、いい牧師になりますよ」と励ましてくれた。

 妻の父は菊池吉弥牧師である。菊池牧師は若い頃、函館教会の祈祷会に出席していたカナダ人のウイリアム・レニーという宣教師に出会った。師は当時「貧民窟」と言われた所に住み、伝道所を開いていた。片言の日本語で、伝道は一向に成果があがらなかった。見かねた人が「英語を教えられたら」と忠告したが、「私は英語を教えるために日本に来たのではありません。キリスト教を伝道するために来たのです」と答え、伝道者の姿勢を崩さなかった。帰国するまで、一人の受洗者も与えられなかったという。しかし、菊池牧師は強い感化を受け、伝道者の原像を見ている。レニー宣教師の名前をもらい、自分の子供に「礼子」と名づけている。また、カナダまで墓参りにも行っている。

 伝道は目に見える成果だけに現れるものではない。イエス・キリストに対する信仰によって自分自身が生かされ、見えないところで人に福音が伝達されていく。これを信じる間、伝道者であり続けられる。