◇牧師室から◇

 モーセは出エジプトを成功させ、40年間、頑なな民を導いた。ここにおける苦労は言語を絶するだろう。ようやく、神が約束した乳と蜜の流れる地 「カナン」の目前まで辿りついた。神はモーセを豊かなカナンを見渡させるため、ピスガの山頂に登らせた。ところが、神は「わたしはあなたにそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」と言われる。この時、モーセは「目はかすまず、活力もうせてはいなかった」と書かれている。こんな残酷なことがあるだろうか。あれだけ苦労してきたのに、モーセ自身は目の前に広がる約束の地に入れない。しかし、これが聖書の信仰である。もし、モーセがカナンに入って行ったら、モーセは神のように崇められるだろう。奴隷解放の出エジプトの偉業はモーセがしたことではなく、神がなさったことであることを明確に諭すため、モーセはピスガで墓もなく、生涯を終えた。私はここを読むたびに、モーセはどのようにして神の命令を受け入れたのかと熱い思いになる。

 毛沢東は「長征」から、新中国建設まで導いた。彼は最高権力者になり、神のように崇められた。そのため「文化大革命」などが起り、多くの人々が傷つき倒れ、中国の発展を遅らせたことは否めない。

 聖書は神が歴史を支配しておられると告げる。この信仰の潔癖さに、実は人間と歴史の救いがある。

 ML・キング牧師の「私には夢がある」という本が出版された。特出すべき11の説教・講演をまとめている。最後の「私は山頂に登ってきた」という説教で次のように語っている。「私自身、自分の身の上に何が起きるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。でも私はそんなことは気にならない。たしかに私も人並みに長生きしたい。でも今の私には重要なことではない。今はただただ神の意志を体現したいだけの気持ちで一杯だ。神は私を山の頂まで登らせてくれた。頂から約束の地が見えた。私自身は皆さんと一緒には約束の地に行けないかもしれない。でも、知ってほしい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだということを。だから、私は今うれしい。私はどんなことにも心が騒がない。どんな人も怖くない。主が栄光の姿で私の前に現れるのをこの目で見ているのだから。」 この説教の翌日、暗殺された。

 キング牧師はピスガの山頂に立つモーセに思いを馳せている。そして、約束の地には到達していないが、それを既に得ていると、神の栄光を見ている。神の歴史支配に委ねた二人を重ね合わせ、その信仰の意味と素晴らしさを思った。