◇牧師室から◇

 「911」の悲惨な事件から2年が過ぎた。特撮映画の一シーンを見るような映像は目に焼きついている。その後の世界はますます混迷を深めている。米国は「超大国」から「帝国」と言われるようになった。その帝国のブッシュ大統領は「神は私にアル・カイダを攻撃するように言い、私はそうした。神はサダムを攻撃せよと教示を与え、私はそうした。次は中東の問題を解決する」と語ったという。どんな神様だろうかと驚き入ってしまう。イエス・キリストの父なる神でないことは確かである。

 アフガニスタン戦争はテロ撲滅という名目で国連の支持を得た。テロは犯罪であるから警察権で犯人を捕らえ裁判にかけることが当然と思っていた。ところが、米国を中心にする多国籍軍がアフガニスタンを猛爆した。テロとは関係のない多くの人々が巻き添えで殺された。タリバン政権は崩壊し、暫定政権が作られた。その責任者・カルザイ議長は「この国には何もない。荒廃、戦争、野蛮、貧困、掠奪。それしかない国だ。」と語ったという。アフガニスタンは今なお混沌としている。

 次に「悪の枢軸」と名指して起こそうとした米国のイラク攻撃を、国連は同意、承認しなかった。攻撃の前、世界の60ヶ国、2,000万人が反対の意思表示をした。米国は英国を同盟国にし強引にイラク攻撃を開始した。大量破壊兵器を持って危険だからというのが大義であった。しかし、大量破壊兵器は見つからず、大義は宙に浮いている。爆撃はあっという間に終わった。その後、占領政策を推し進めたが、米国の最初の思惑とは違い、大変な混乱をきたらせている。イラク国民の反発を買い、ゲリラやテロ的攻撃によって、勝利宣言後の方が、米軍死者が多くなっている。治安、復興に手を焼いた米国は国連に支援軍を要請するという。身勝手さには呆れ果てる。

 「帝国」と言われた米国も実は「幻想」であり、衰退の一途を辿っているのではないか。戦死者が増えて米国民は反対し始め、経済的にも追い詰められている。大地はうめく人々の血を吸い込み、汚染され続けている。怨念は増大し、何も得るものはなく、悲惨だけが残っている。

 松井やより氏が癌の病床で「愛と怒り 闘う勇気」という自伝を書き残しておられる。その中にタイのスラムで活動しているフィリピン人シスターの言葉を記している。「いま苦しんでいるアジアの人々が求めているのは憐れみでもなければ、嘆きでも、涙でもない。ましてや祈りでもない。怒りなのです。」力によって収奪され、人権はおろか生存権され奪われている人々の怒りが世界に蔓延している。この怒りと向き合わなければテロは撲滅できないし、世界に平和は訪れないのではないか。