◇牧師室から◇

 最上敏樹先生をお招きして「公開平和学習会」を持った。先生は「断罪と平和−液状化した世界をどう立て直すか」と題して講演をされた。論旨を、私なりに要約したい。

 「911」以降、米国政府は反米国を「悪の枢軸」と名指し、悪を断罪するという姿勢に立っている。悪を滅ぼさねばならず、従って戦争が平和を生み出すという論理である。ブッシュ大統領はキリスト教原理主義を前面に出し、単純な善悪二元論を主張している。キリスト教は凶暴な宗教と化している。しかし、聖書は「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(エフェソ4:2−3)」と勧めている。米国の政策には国際法の遵守は見られず、力を正義としている。悪を断罪する「奢り」からは平和は生まれない。

 東西冷戦の終結は世界を明るくした。冷戦終結は東側の経済的破綻、民主主義を求める民衆の勝利などによると言われている。しかし、深いところでは、ドイツのヴァイツゼッカー大統領が1985年の敗戦記念日に語った「荒れ野の40年」という謝罪演説に負う。ヴァイツゼッカーはユダヤ人をはじめ、ヨーロッパに被害を与えたことを深く謝罪し、和解を呼びかけた。謝罪があるところに和解が成立し、武装解除をもたらす。「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(エフェソ215b−16)」というキリスト教の本質が現された。

 米国が起こした湾岸戦争、イラク攻撃はキリスト教を逆流させた。軍事的奢り、法の支配を無視した高ぶりの現実を追認してはならない。近頃、フセイン大統領の独裁・恐怖政治からイラクの民衆を解放したとあたかも「人道的介入」のように言っている。しかし、国連安保理の承認という法的根拠もなく、大量破壊兵器があるという事実の根拠もない。「闇の勝利」としか言えない。闇には光が求められる。光は法の支配の確立と遵守である。国連を強くし、活用していくことが重要である。

 液状化した世界の動向に落胆しているが、諦めてはいない。希望はある。米国の傲慢はいつまでも続かない。沖縄は虐げられたが暴力をふるわなかった、しかし同時に諦めもせずにここまで来た。そこから私たちは学ばねばならないし、この苦しい状況でも沖縄のようであらねばならない。キリスト者は「主の来臨」を待望する信仰にあって、希望に生きる者である。希望を持って平和への歩みを忍耐強く歩き続けよう。