◇牧師室より◇
岩波書店の月刊誌「世界」に連載していた「韓国からの通信」の著者「
T・K生」は池明観先生であったことをご自身が名乗られた。私はやはりと納得した。雑誌がくると真っ先に「韓国からの通信」を読んだ。
70年代から80年代にかけて韓国は軍事政権が支配した。北朝鮮への敵対政策を掲げ、内では厳しい弾圧と過酷な粛清が吹き荒れた。豊富な資料でその実態と、これに抗して民主化を求める闘いを伝えた。どのようにして、あれほどの情報を入手できるのかと感嘆した。韓国の秘密情報機関は必死になって著者「T・K生」を捜しただろう。韓国野党、学生、キリスト者、そして岩波書店の編集者の心を一つにした見事な連携プレーであった。私は民主化を求める人々の命を賭した闘いに感銘を受けた。そして著者「
T・K生」の高い知性と強い愛に敬服していた。絶望的な状況であったが、民主化の「春は訪れる」といつも未来に目が向けられていた。「韓国からの通信」を読んで、私は何よりも希望に生きるという信仰を教えられた。農村伝道神学校で池先生の特別講義を受けた。埼玉地区の牧師会で講師としてお招きしたこともある。いつだったか、先生に「
T・K生は誰でしょうか」と聞いたことがある。先生はニコニコして、ただ笑っておられた。私が聞くくらいだから、多くの人に聞かれたに違いない。「韓国からの通信」によって、根強い民主化勢力のあることを知り、国際的な支援が得られた。そして待望の「春は到来」した。
しかし、池先生は現在について次のように語っている。民主化運動で殉死した人たちの初心は忘れ去られた。東アジアの連帯を追求したのに、今は米国を頂点にし、連帯が見えない。そして、韓国の民主化運動に協力した日本の市民たちは今、どうしたのかと疑問を投げかけている。
苦難は人を鍛えるが、豊かさは脆弱にするのであろうか。私たちは罪を負われたイエス・キリストに目を注ぐ。それは、時代の罪を負って苦悩した人びとを想起し、彼らと結び合うことである。そのことによって、明日の民主と平和と正義を望むことができよう。