◇牧師室より◇

 十字架で死んだイエスは三日目に復活し、今も生きておられるという信仰と告白がキリスト教の始まりとなった。死人の復活などあり得ないことだから、イエスの復活はどのようなことであったのかを人々は問うてきた。

 福音書の復活証言では弟子たちは復活したイエスにリアルに出会ったと記している。反面、戸の閉まった部屋に入ってきたと体(肉体)から自由であったとも伝えている。証言は矛盾するが、神の全能の力に与った肉体の復活であったと信じる人もある。

 パウロは、肉の体と霊の体とを対比し、肉の体は滅んでいくが、霊の体は永遠であると語り、イエスの復活は霊の体のよみがえりであると説いている。霊の体とは、人間の感覚や知性では捉えられない超越した神に関わる秘儀である。

 死人の復活はあり得ない。復活は、イエスを思い起こし、十字架の死を追悼する中でイエスの示された愛が弟子たちの間に深まり、それを「イエスは生きておられる」と表現したのだと理性的に捉える人もある。

 今年のイースターは暗く重い気持ちで迎えた。米国のイラク攻撃は国際法に違反し、国際世論を無視して始まったが、誰も押しとどめることができなかった。力の前で味わった無力感は底知れない。また、私自身の日常生活においても力のなさを痛感させられている。主イエスの「心の貧しい人々は幸いである、悲しむ人々は幸いである」というみ言葉を思い、悲しみ涙することが赦されていると思っている。そのような今、主イエスの十字架と復活を伝える聖書を読んでいる。十字架という人間の罪と死の暗闇を突き破って、神の命が啓示された復活を信じなさい。パウロは更に、あなたは既にその命に与っていると告げている。神につながる永遠の命が私たちの現実となった復活を信じないで、どうして「今」を乗り越えていけるだろうか。主イエスの復活こそが望みである。「イースターおめでとうございます」と声をあげたい。