◇牧師室より◇

 私はイラク国際市民調査団のツアーの参加を断念しました。皆さんにご心配をかけ、また戸惑わせたことを心からお詫びいたします。

 イラクはクウェート侵攻に対する国際的な制裁の湾岸戦争によって深い傷を受けました。その傷跡の大きさや、経済制裁の苦悩の実態が本や雑誌で紹介されています。特に弱い人々への打撃は深刻です。「911」後、テロと絡んで、大量破壊兵器保有の疑惑が持たれ、米国の圧力は強まってきました。

 私は、イラク攻撃をして再度無辜の人々を苦しめるべきではない、話し合いで解決して欲しいと願ってきました。そして、イラクの人々の生活や考えを少しでも見聞きしたい、そのことによって違う視点が与えられるのではないかと期待しました。そこへ、イラク国際市民調査団のツアー募集を知りました。調査団という名前が気になりましたが、「イラクの窮状を知り、友情を結ぶために」という言葉で応募しました。週刊誌は「人間の盾」などとセンセーショナルな書き方をしています。そして、参加者の中にはその気になっている人がいることを知りました。私は盾になるとか、危険な体験をしたいなどと考えていません。

 イラクの兵器が米国にとってどれほどの脅威になるのでしょうか。百年以上あるという石油目当ての戦争としか思えません。日本をはじめ先進十数カ国の軍事費の総計より、米国の軍事費の方が多いそうです。巨大な軍事力で世界を意のままに支配しようとすれば、更なるテロを生み、世界に悲劇を増幅するだけです。

 攻撃反対の国際世論は日増しに大きくなっています。攻撃があるとすれば、米国が暴走した時ではないでしょうか。しかし現実は、イラクでは戦時配給がなされ、外国人は国外退去し、またイラクに入国できない可能性があるとも聞きます。率直に不安にもなってきました。この時のイラク訪問は私の目的とは違い、迷惑をかけることになりかねません。

 巨大な力の前で、心が萎え虚無的な思いに駆られますが、主イエスは貧しい「まぶね」の中に生まれ、ここを神の平和と真実の出発点とされました。この方を信じ、小さな歩みを続けたいと思っています。私の応募が軽率であったことのそしりは免れません。皆さんからのご忠告とご意見に心から感謝いたします。