◇牧師室より◇

 米国のスペースシャトル「コロンビア」が帰還途中、空中分解し、7名のクルーが亡くなるという痛ましい事故が起こった。1986年の「チャレンジャー」の悲惨な事故を思い起こした。

 宇宙開発は未知なるものへの探求心が進めたのであろう。通信手段、気象衛星など多くの益をもたらし、建設中の宇宙ステーションでは地上ではできない様々な物が作られるのではないかと期待されている。宇宙の生成過程も解明されていくと聞く。

 朝日新聞の「素粒子」に「天は晴れ晴れと哀しい。『何用があって宇宙へ』と考える。『それでも飛び出してゆく』とも思う。」と書いている。私は「何用があって宇宙へ」に同感である。宇宙開発は軍事目的がメインであり、大国の敵対国の監視と攻撃のためではないか、また費やされる莫大なお金を地上に用いれば世界の貧困は救えるのではないかと思っている。大気圏外には打ち上げ後、不要になったごみが散乱しているらしい。宇宙使用は平和目的のみという時の来ることを期待している。

 ただ、米国の事故原因究明の真摯さと公開性には敬服する。対象化されるものは科学的な立証が可能である。それに反し、人間の心の解明は本当に進まない。進まないというより客体化できないのではないか。これが面白いところでもあり、悩ましいところでもあろう。人間の営みは昔も今も変わらない。宗教はこの面白く悩ましい面と関わる。

 米国セント・ジョンズ教会のレオン牧師はブッシュ大統領が出席した礼拝で「シャトルの爆発は米国のイラク政策に対する神の復讐であるという声を聞いたが、これはでたらめだ」と説教したという。神の復讐説は米国への怨念だけが込められ、宗教とは言えない。レオン牧師の反論もブッシュ大統領への過剰なサービスで、聖書を語ろうとする牧師の言葉ではない。主イエスは敵対関係に陥らないように「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」と事の起こる前の心のあり方を諭している。