◇牧師室より◇

 小泉首相はまたも突然に、靖国参拝に行った。「新年ですからね。(不戦の)決意を新たにするには、いい時期ではないかと思いました」と記者団に語ったという。腹の中で考えていることと口で言うことがまるで違うのではないか。不戦の決意が本当にあるのなら、アフガン戦争に協力する輸送船団や、イラク攻撃に備えて後方支援するイージス艦など出さないはずである。首相の本心は、戦争になって死者が出た時、靖国に祀る用意をするためであろう。

 靖国神社は、天皇中心の明治政府樹立のため命を落とした人々、それから第二次世界大戦までに、名前の分かった戦死者・戦病死者を祀った権力支配の下で作られ、運営された神社である。それは当然、戦死者を「英霊」として祀られることを国民最高の栄誉とし、戦場に行かせる精神的支柱として働いた。

 現在は一宗教法人であるから、靖国神社の宗教活動は自由である。しかし、首相など公人の参拝は「政教分離」の憲法に明らかに違反する。それをあえて参拝することは新しい「英霊」作りの準備としか思えない。米国が起こしている戦争に加担している日本の現状を映し出している。

 日本政府はアジア諸国に与えた戦争被害を口先では謝罪しているが、本当に戦争責任を取っていない。私たち国民もその責任を感じていないと言うべきであろう。北朝鮮の拉致問題は異常な関心事になった。それは理不尽な国家犯罪であるから、怒りは当然である。しかし戦前、戦中、朝鮮から強制連行され、また職を求めて日本に来ざるを得なかった人々が何百万人もいた。彼らも拉致被害者と同じ哀しみ苦しみを味わったと言おうものなら大変な反発を受けている。被害者意識には敏感に反応するが、加害責任には目を瞑る。これでは、対等な話し合いができない。力に奢った態度と言葉が憎しみを招き、平和を壊していく。

 靖国神社には東条英機元首相などA級戦犯も祀られている。ドイツのシュレーダー首相がヒットラーの墓参りに行ったら、ヨーロッパ諸国は決して許さないだろう。過去の事実を認識し、中国、韓国などの強い不満・憤慨を理解すべきではないか。