◇牧師室より◇

 文部科学省から諮問を受けた中央教育審議会は、教育基本法の見直しの方向を示した中間報告に「郷土や国を愛する心」を重要な理念として提案しているという。「愛国心」は戦争中、国家から強要され手痛い目に遭ったから、警戒される言葉になっているのは当然である。

 愛国心という言葉はフランス革命の際に現れた概念だそうである。国王の私物であった国家を民衆の側に取り戻し、国を愛する心が生まれてきた。国を愛するから、既存の権威や権力に反抗することが正当化される。愛国心は本来受動的な徳目ではなく、国家や公共と能動的に関わる主体性を喚起する心であった。

 藤岡信勝氏や小林よしのり氏らがつくった「新しい歴史教科書」を読んでみると、日本の伝統はすばらしく決してヨーロッパには負けない、日本は間違いのない正しい歴史を歩んできた、と気恥ずかしいくらいに書いている。歴史を都合良く捻じ曲げて解釈している。彼らは、このすばらしく、正しい日本を愛そうと直線的につなげている。私は違うのではないかと思う。日本の伝統の中にはすばらしいものもあり、反面取り除きたいものもある。日本の歴史においても明らかな「負」もある。取り除きたい負を持ちながらも、この国を愛したいというのが真実ではないか。

 「911」を受け、米議会がアフガニスタン攻撃を決議した際、バーバラ・リー議員はただ一人反対票を投じた。今回の米中間選挙で、ブッシュ大統領の共和党は両院で勝利した。再選を危ぶまれていた民主党のリー氏は81%を獲得し圧勝した。彼女は反戦デモで、ベトナム戦争を告発したロン・コビッチ氏を前に「民主主義を守ったあなたこそ、真の愛国者。声高な多数に抗して、声なき声をワシントンに送ろう」と語ったという。

 愛国心は上から強要されるものではない。上から、また多数から強要されたとしても、たった一人でも「ノー」と言える国である時、この国を主体的に愛していこうという思いが湧き上がってくる。CH・ルイスは、具体的な隣人を愛さず、抽象的な国を愛すると思わせた時、サタンは計略に成功したとほくそえむと、ユーモラスに書いている。