◇牧師室より◇

 日本基督教団総会が持たれた。教団はここ20数年、「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえ直しと実質化」が議論されてきた。その中で沖縄教区から「日本合同キリスト教会」に名称を変えて、再出発しようという議案が出されていた。幾度か継続審議で見送られてきたが、今回の総会は最終結論を出す総会と位置づけられていた。総会の最終日に名称変更の議案が上程されたが、審議未了・時間切れ「廃案」となった。現在の教団の実情では、採決すれば「否決」されると予想され、否決より廃案の方を選択したのでないかと想像する。いずれにしても、沖縄教区の議案は通らなかった。彼らは「教団からも切り捨てられた」という深い失意の中で沖縄に帰られたことと思う。また、「靖国・天皇制問題情報センター」も廃止され、社会委員会の中の小委員会で継承されることになった。諸々の議決を見て、教団ははっきり右傾化したと言える。

 70年代、いわゆる「問題提起者」によって教団は放置してきた様々な問題が問われた。彼らは、キリストの福音はこの時代とどのように関わるのかを激しく問いかけた。行き過ぎもあり、教団は混乱した。しかし、彼らの問いの真理性を認め対話しながら進めようと模索してきた。それに対し、いわゆる「正常化」を求める人々の数が増し、今回の総会のような決議を生んでいったと思われる。彼らは伝道をしようと呼びかける。教会が伝道することは当然で、それを教会的な使命と公言して、社会的な発言や行動を押さえ込み、正常化を図ろうとしている。

 自分の福音理解とその実践のために同志を求め、集めることは理解できる。しかし、今の教団は数の力で事を押し進めようと、政治の世界と変わらない様相を呈している。

 教会は次の世代によって評価される。もちろん先は見えないが、次世代から納得される宣教を志すべきではないか。そのためには、主イエスはどこに立って、何を思われるかという「福音の質」を問う真摯な求道が不可欠である。十字架を負おうとする中で見えてくるものを語り続けることが教会の宣教である。今回の教団総会には失望落胆した。