◇牧師室より◇
若い頃、三船敏郎主演の「無法松の一生」を見た。無法者の人力車夫・松五郎が、陸軍将校の「未亡人」とその一人息子に無償の愛を貫いたという九州男児の物語である。「週刊金曜日」に興味深いレポートが掲載されていた。
1943年(昭和18年)に、阪東妻三郎と園井恵子の主演で「無法松の一生」が作られていた。その映画は当時の軍部によって約10分間、検閲でカットされた。無法松が「未亡人」に対して、密かに愛情を持ったことがカットの理由になったらしい。敗色の濃い時代、軍部は軟弱を排する文化統制にやっきになっていたからである。
敗戦後、日本を占領していた米軍が同じ映画を検閲し、約
8分間のカットを命じた。カットされたシーンは、一人息子の少年が母と無法松の前で、戦争をすることの哀しみを歌った「青葉の笛」という小学唱歌を歌うシーンである。青葉の笛は「一の谷の/ いくさ破れ/ 討たれし平家の/ 公達あわれ/ あかつき寒き/ 須磨の嵐に/ 聞えしはこれか/ 青葉の笛」という歌で、私も子供の頃よく歌った。「アメリカ軍占領によって民主化された日本人に、封建的な時代の歌を聞かせてはいけない」というのがカットされた理由である。一本の映画で、戦中の軍部と戦後の米軍の両者から、計
18分カットされている。しかも、厭戦の歌を日本軍部は認め、米軍が拒否したというから面白い。映画評論家の白井佳夫氏は、カットされた
18分間が意味するものを問いかけ、全国公演活動を展開している。まず、「無法松の一生」を上映し、二重のカット・シーンを俳優たちのシナリオ朗読で復元する。学徒出陣して戦死した若者の遺稿集「きけ、わだつみのこえ」の抜粋を朗読する。当時を表す写真や資料を提示し、主演女優であった園井恵子はその後、移動演劇隊のメンバーとして、広島で被爆して亡くなったことを語りかける。更に、この映画のシナリオ作家・伊丹万作が戦後の翌年、死を数ヶ月後にひかえて書き残した「戦争責任者の問題」を朗読する。伊丹は、戦争でだまされたと言って責任から解放され、正義派顔をしているなら、何度でもだまされるだろう、いや、現在既にだまされ始めているに違いない、と書いている。公演会で、白井氏は次のように話している。日本国憲法は検閲をしてはならないと条文化している。しかし、高度に管理された社会の中で、周りを恐れて発言を抑え、行動を起こさない「自己検閲」をしている。この自己検閲の肥大化がタテマエの民主主義社会に不思議なファシズム的状況を生み出している。寝そべって何もしないでいると、状況はますます悪くなるばかりではないか、と。