◇牧師室より◇

 大貫隆先生をお迎えして講演会と伝道礼拝を持った。講演では、人間イエスは田舎の小さな集まりで、悪霊を追放し、全ての人を無条件に受け入れている「神の国」を示したことから話し始められた。しかし、その神の国は破綻し、刑死に追い込まれた。イエスは大声をあげ神に問いかけながら、息を引き取った。弟子たちは、イエスのあらわされた神の国と謎の死から、その答えを見出した。旧約聖書の預言から、イエスは神の救済計画の中で遣わされた神の子キリストであることを知り、そこに、生き生きとした復活信仰が生また。

 イエスがあらわした神の国は、古代的な表現であり、そのまま倣うことはできない。しかし、現代に通じる真理性がある。それを四点で話された。@ 神は細部に宿り、局部に普遍が現れていることを示された。A 人の命はかけがえのないものであることを示された。B 過去のアブラハム、イサク、ヤコブは天の国の宴席に招かれている。この先取りされた輝かしい未来(終わり)が現代(今)に語りかけ、問いかけている。C 神の名によって語らず「わたしは言う」と自分の責任において語った。これは神に責任を転嫁しない「責任倫理」のあり方を示している。人間イエスがあらわした神の国、それを受けて成立した初代教会の信仰、そして、それらが現代の私たちに問いかける真理性と、広範で内容の濃い講演であった。

 説教では、マタイ福音書6章の「野の花、空の鳥を見よ。… 明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」から、講演とは一味違う語り方をされた。日常的な風景を伝えた新聞記事から、生きることの深い感動に気づいた二人のことを話された。

 一つは、何十年と毎朝同じ時間にリヤカーを引きながら橋を渡って魚の行商に行く女性に、金もうけや他人との競争とは無縁に生きている姿を見て、感動したサラリーマンの話。もう一つは、夕暮れに農作業を終えた家族がリヤカーを引きながら帰る光景を見て「幸せはこんなもん」と語った父の言葉を聞いた弁護士・中坊公平氏の話。悲観的な暗いネガの世界から、肯定的な明るい色彩をもったカラーに見える時がある。生きる喜びと安堵感を与える気づきの体験がある。これを「啓示」と言えるではないか。イエスはサタンが地に落ち神が支配する「神の国」を示された。それは、神に無条件に肯定され、他者との和解に招かれている世界である。日常の生活の中で神に肯定された、この美しいカラーの世界を見て信じ、安心して生きよと語られた。