◇牧師室より◇

 北朝鮮による拉致は15人中、生存者は5人という悲劇的な報告で、死亡者報告も作られたものらしく、信用性は極めて薄い。独裁政治の恐怖が見えてくる。家族の方々の怒りと悲しみはテレビ、新聞を通して直に伝わり、全国民に共有されている。また世界にも届いている。この世論が拉致の真相と責任を明らかにしていく力になる。

 北朝鮮が日本との国交回復の実を示し、国際社会に加わっていくことがアジア、そして世界に平和を生み出す。北朝鮮は他国人を拉致するテロ国家であることを認め、謝罪したのであるから、これを機に世界に納得される開かれた政治体制に変わってもらいたいと切望する。

 そのためには、日本は拉致問題の解明を求めることは当然であるが、一方的に責めるだけでは無理ではないか。日本は戦争中、何十万人もの朝鮮人を連行し、日本兵にし、強制労働をさせ、従軍慰安婦にした。そして、多くの人が空しく殺された。彼らの絶えがたい苦悩とその家族の怒りと悲しみは、拉致された方々とその家族の体験していることと何ら変わらない。むしろ、彼らは無念の声さえあげられなかった。その「恨」は底知れぬものがあろう。この問題の謝罪と保障なくして先には進めない。そこに「相殺論」が出てくるが、相殺でもされたら、横暴な国家権力の狭間で、強制連行された人々、拉致された人々は存在しなかったことになる。苦悩を強いられた方々の存在を浮き彫りにし、その責任を明確にすることによって、始めて平和が真実なものになってくる。