◇牧師室より◇

 「911」の出来事以来、一年が過ぎた。特撮映像を見るようなことが現実に起こったのだから、世界に与えた衝撃は大きかった。他国からの攻撃を受けたことのない米国民の不安と恐怖、また彼らの怒りも想像できる。米国はテロ撲滅を「新しい戦争」と位置付け、テロを支援しているというアフガンのタリバン勢力に空爆を繰り返した。沖縄の友人が「艦砲射撃は本当に怖かった」と言っていたが、米国の空爆はそれに勝る恐怖であろう。今また、米国はイラクを攻撃する準備をしているという。最近は「911テロ」とは言わず、「911」とだけ表現するようになっている。テロの規定がはっきりせず、むしろ、米国の国家テロを世界の不安要因と見ているからではないか。

 第二次大戦後、米国の直接軍事介入、もしくは米国政府の軍事援助による米国製の武器による死者は数千万人をくだらないと言われている。更に、湾岸戦争とアフガン空爆によって米軍の凄まじい破壊力を知らされた。米国に口出し、反対は言い難くなった。貧しい者の側に立った異議申し立てや、文明の多様性の要求がテロと見られ、攻撃の対象になりかねない。米国は独りよがりの「裸の王様」になっている。恐れず「あなたは裸ですよ」と言うべきである。力で報復する側に立たず、抑圧されても報復できない人々の声を聞くことが平和を実現する。

 キリスト新聞に「911に寄せて」と次のような詩が掲載されていた。

放棄の勇気  河野 浩

「世界の民族と 歴史の方向を

支配し 制覇し 判断し 行動を

絶対とすることが 

平和への勇気なのか

その方向に 

民族と宗教の名において

自分たちの思想をもって

対抗対決して

相手の滅びを求めることが

まことの勇気なのか

ちがう 共にちがっている

ほんとうの勇気は 放棄にある」

 民族や宗教や思想に根拠付けて正義を振りかざし、他を抹殺することは許されない。正義はあくまで他者の人権尊重の上に成り立つ。

 バーバラ・リー下院議員はテロへの報復攻撃を認める決議において、唯一の反対票を投じた。議員は「平和を進めるためには、貧困や病気や失望という問題に対応することが大切で、希望こそが怒りや憎しみに対する最も良い防衛になる」と語っている。この言葉を本気で信じ、実行することが求められている。