◇牧師室より◇

 朝日新聞の「ひと」欄に、短歌の賞を同じ年にトリプル受賞した竹山広氏が紹介されていた。竹山氏は長崎県のクリスチャンの家庭に生まれ、少年期に啄木の歌に触れ、青年期に茂吉の歌に深入りした。1945年、結核で入院していた長崎病院で被爆した。自ずと体験した惨状を詠んだ短歌が多いという。

 「核実験に狂喜するパキスタン民衆のわれら覚えある如くするかも」と詠んでいる。竹山氏は1942年、マニラ陥落を祝う短歌が二席に入ったことがあった。「そのころの歌は恥ずかしくて人前に出せません」「戦争中、私たちは勝った、勝ったと喜んでいた。戦争賛美の歌など二度と作りたくない」と言う。核実験に成功したパキスタン民衆の歓喜の姿が過去の自分とダブって見えた。竹山氏も軍国青年であった。被爆体験が戦争賛美を拒否する思想へと展開したのであろう。過去を恥とし新しい自分に生まれ変わっている。

 82歳だそうだが、「それにしてもよくよく長生きだ。私の宗教流に言うと、何かをさせようと生かしてくださっているわけですが」と神に用いられていることを感謝し、それに応えようとしておられる。

 私は、過去と決別し反戦を訴える講演を聞く集会に参加している。しかし、新聞・テレビでは平和憲法を全く無視した「有事法制化」議論がまかり通っている。戦争経験者たちが「反戦」と「戦争是認」に分かれる分岐点はどこにあるのであろうかといつも思う。大量の殺戮と破壊が国家によって正当化されるのが戦争である。これ以上の大罪はない。現代戦争の被害はその時だけではなく、人的にも、自然的にも末代まで続く。それでも戦争の止む時はない。人間の生存本能が戦争を避けられないものとするのであろうか。戦争を是認する勢力に組してはならない。平和な未来を造るために、竹山氏のように一人一人が平和への思いを深め、反戦の声を積み上げていくことが、今の私たちに求められている。