◇牧師室より◇
「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化について」の公開学習会を持った。現在、沖縄教区から「日本基督教団」の名称を「日本合同キリスト教会」に変更しようという議案が教団総会に提案されている。
1941年、戦時体制を進めるため、政府から要請され、三十余教派のプロテスタント教会が合同して「日本基督教団」が生まれた。沖縄の教会は九州教区内の沖縄支教区と位置づけられた。敗戦後、沖縄は本土から切り離され、米国の施政権下に置かれた。この時、教団は沖縄の教会との関係を何ら持たなかった。激戦で牧師の退去してしまった沖縄は信徒が中心になって教会を立ち上げ、大変な苦労の末「沖縄キリスト教団」までに成長した。
1967年、教団議長・鈴木正久牧師の名で「第二次大戦時下における日本基督教団の責任についての告白(通称−戦責告白)」が出された。そして、沖縄の本土復帰前の1969年、日本基督教団と沖縄キリスト教団が合同した。二つの独立した教団の合同であったが、日本基督教団は何らの変更もなく、沖縄キリスト教団を吸収合併する形をとった。
この合同のあり方が問い直されている。それは、教会論的に教会合同の神学を踏まえていない。大が小を飲み込む一方的なものであった。そして、沖縄の教会の痛み、苦しみを本土の教会は担っていないという深い不信感がある。この「合同のとらえなおしと実質化」が
20数年来、教団、教区で議論されてきた。名称変更には下記のような反対論がある。@当時は対等な合同ではなく、本土の教団への復帰であった。A名称を変えるために多額の費用がかかる。Bこの提案は反権力という政治的イデオロギーである。
私は下記のような理由で名称変更に賛成である。@教会合同は互いの尊重によって成り立つ。教会的手順を尽くすことは当然である。A沖縄の教会の苦悩を放置したことを認め、差別と抑圧を受けている人々を「中心」に据え、キリストの福音を生きる教会であることを実質化していく。B沖縄教区の提案を受け入れることは、教団内の問題だけでなく、戦禍に苦しんだアジア諸国と連帯する教会であることを示し、米国の軍事態勢に反対であることを世界に向けて表明することである。