◇牧師室より◇

 パウロはフィリピ書に「わたしはこう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられますように。」と書いている。私たちは今日、何が重要で何が重要でないのかが分からなくされているのではないかと思う。

 テレビはニュース、娯楽番組、コマーシャルを平面的に流している。新聞は見出しと掲載場所によってニュースに強弱をつけているが、新聞社の意向によってまちまちである。

 最近のニュースでは鈴木宗男氏の政治資金規制法違反が大きく扱われている。そして、外務省に食らいついた「族議員」の公金を貪る横暴さが報道されている。政官癒着の政治腐敗は確かに大きな問題であろう。

 サッカーのワールドカップはどのテレビ局も新聞も、私にしては「イヤ」になるほどのはしゃぎようである。世界の何十億の人が見るそうで、莫大なお金が動く。マスコミが騒ぐのも理解できる。健康を保つためのテレビ番組もやたらに多い。

 しかし、現在の状況は何と言っても、日本のこれからの基本的なあり方を決める「有事法制」問題が最も重要ではないか。もし、米国の起こす戦争に日本が巻き込まれたら、宗男氏の3億円の政治資金規制法違反などとは比べ物にならない、取り返しがつかない大問題である。

 作家の城山三郎氏は、戦前の治安維持法にも匹敵する個人情報保護法案・人権擁護法案が成立したら、賛成した議員の名前を刻み込んだ「言論の死碑」を建てようと怒りを込めて提案している。ワールドカップの馬鹿騒ぎの内に、戦争のできる態勢を作ろうと、小泉内閣はもくろんでいるのではないかと思わされる。

 反核平和運動家の梅林宏道氏は「無関心の広がりは、日本の政治に理念や理想が失われ、市民が根源的なものを問うエネルギーを失っていく過程と重なって進行してきたのではないだろうか」と憂いている。健康は大切だが、長生きしてよかったと実感できる国を作ることが最重要ではないか。日本は大きな曲がり角にきていることに間違いない。