◇牧師室より◇

 旧約を読む会は、第二イザヤを読んでいる。イザヤの預言は「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と」という、ヘンデルのメサイヤの冒頭で歌われている言葉から始まる。紀元前539年、強大さを誇ったバビロン帝国はペルシャのキュロス王によって滅ぼされる。50年間、捕囚の奴隷民として苦しみぬいたイスラエル人はエルサレムへの帰還を許され、天にも上るような歓喜をもって帰還する。

 この時代に預言活動をしたイザヤの言葉は喜びに満ちている。「わたしに聞け、ヤコブの家よ イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と救いの確かさを語る。「急いで出る必要はない 逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり しんがりを守るのもイスラエルの神だから」とバビロンからエルサレムまでの道のりを前と後ろから守られる。 その途中も「主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも 彼らは渇くことがない。主は彼らのために岩から水を流れ出させる。岩は裂け、水がほとばしる」と安全を保障される。しかし、イザヤはイスラエルの罪を決して忘れてはいない。「お前が頑固で、鉄の首筋をもち 青銅の額をもつことを知っている」と、かつての不信仰を指摘する。それでも「わたしは、わたしの名のために怒りを抑え わたしの栄誉のために耐えて お前を滅ぼさないようにした。見よ、わたしは火をもってお前を練るが 銀としてではない。わたしは苦しみの炉でお前を試みる」と祝福を変えないと語る。

 神が人間を救う神であることを信じ得る、こんな喜びで世界が満たされたらどんなによいだろうか。