◇牧師室より◇

 パレスチナとイスラエルの報復合戦はとどまるところのない悲惨な状況になっている。18歳の、しかも結婚を間近にした女性が自爆テロを起こしたという痛ましいニュースが報道された。明日を望めない虚無と絶望が自爆テロに走らせたのであろう。「9・11同時多発テロ」後、米国はなりふりかまわないテロ撲滅戦争を始めた。これにイスラエルは勢いづいている。生活権を奪われたパレスチナは反抗するが、軍事的には圧倒的に劣勢であるから、いわゆるテロ的方法を取るしかない。米国は国連決議や世界世論を無視してイスラエルのテロ制圧という名目の軍事侵攻を容認し続けてきた。国際世論に押されてパウエル米国務長官はパレスチナ調停で中東などを歴訪している。最初の訪問国のモロッコ国王は「まずエルサレムに行くことが重要なのでは?」とズバリ指摘したという。

 音楽家・坂本龍一氏は「9・11」後、「音楽に何ができるか」と深く悩んだらしい。思想家、小説家、そして宗教家も世界で起こっている悲劇に対し「平和を実現する」力を持ち得ない。軍事力、経済力が我がもの顔にのし歩いている。文字を見出して五千年の人類史は全く進歩せず、野蛮そのものである。世に盗っ人の尽きぬように、この状況下でテロの撲滅などあり得ない。

 放送作家・永六輔氏はラジオ放送で、まずコーラン朗誦の音声を流したという。意味は分からないが、美しい響きが一定の人々の心を捉えていることを実感させた。そして、1911年に書かれた石川啄木の詩「ココアのひと匙」を朗読・紹介した。

 「われは知る、テロリストの

 かなしき心を…

 言葉とおこなひを分かちがたき

 ただひとつの心を、

 奪われたる言葉のかはりに

 おこなひをもて語らむとする心を、

 われとわがからだを敵に擲げつくる心を…

 しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

 はてしなき議論の後の

 冷めたるココアのひと匙を啜りて、

 そのうすにがき舌触りに、

 われは知る、テロリストの

 かなしき、かなしき心を。」

 この啄木の詩は、もちろん当時の諸事件の背景から作られたが、いま聞いても味わい深い。

 イスラエル旅行の時に訪ねたベツレヘムのパレスチナ人教会の牧師や信徒たちは自爆テロをすることはないだろうが、その身を心から案じる。