◇牧師室より◇

 Nさんいう妻の高校時代の同級生がおられる。彼女は1984年以来、フィリピンのミンダナオ島のパガディアンという所でNGOの働きを続けている。現地の人々と協力し、海洋生態系を守り、温暖化を阻むために植林や農作物作りをしている。環境、食品、教育、公害問題など多岐にわたる地道な活動を展開している。もちろん、国際的なNGOとも関係し、日本でもM先生が会長をし、K先生など、「支援する会」もある。

 ミンダナオは気候も文化も違い、生活は想像を越える不便さである。彼女は体験を書いている。「激しい下痢を時々したり、腸チフスに2回、ドイツハシカ1回、デコボコ道を旅行したため、肝臓に穴があき出血(2回)と死に4回直面しました。1回目にかかった腸チフスの薬が強すぎた為か、霧がかかったように真っ白な世界に4ヶ月間いた事もあり、ほんのかすかな物体が見えていたので生活ができました。その後ひどく視力が落ち、約8年間は新聞や本を読むのが困難でした。少しは回復しましたが、視力は弱いままです」。

 一緒に仕事をしている通称ドドン氏は彼女について書いている。「Nさんが言葉だけでなく行動で教えてくれたことは本当に感謝です。彼女のおかげで、私は自分のためだけではなく、他人のためにも生きてみようと頑張っています。Nさんの立派な行いに感謝しているのは私だけではありません」。

 彼女をこのような生き方へと駆り立てたのは、@ 父親から日本の戦争責任について聞いた、A 教会の牧師から「アジアを二度と侵略してはいけない。平和な世界を」と教えられた、B P・ビーリングズ宣教師に「ビジネスマンだけがフィリピンに行くのではなく、一市民が行って、市民レベルで見たことを、私達アメリカ人と日本人に伝えて欲しい。私達は真実を知る必要があります」と言われたことである。また、日本人が乗せられている社会構造と生活のスタイルはミンダナオで犠牲になっている人々と直接、間接に関係している。侵略ではなく、平和に生きる道を模索し、それは、自然サイクルの中で生き、環境を大切にすることであると書いている。

 途上国で、身を削って隣人と社会と地球に誠実に向き合っている何人かにお会いした。彼女にも、帰国された時、教会においでいただき、話を伺う機会を得たいと思っている。