◇牧師室より◇

 「週刊金曜日」に記録映画作家の羽田澄子氏が「お金のありがたさ」と題して小文を寄せている。羽田氏は老人福祉に関する映画を撮っている。有料老人ホームのダイレクトメールが目にとまったので、行って見た。立派な建物で、施設は豪華ホテルのよう、部屋は日当たりも眺めも良い。見学者にはもちろん、入居者にもホテルの従業員のように丁寧に対応する。取材してきた特別養護老人ホームは数個のダンボールとベッドとその周りだけが終の住処となる。両方を体験し「贅沢とはこういうものなのか」と納得する。そして「お金の有無によって生まれる違いの大きさに、私はいまさらながらがっかりしてしまった」と結んでいる。

 私も仕事柄、有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、そしていわゆる「老人病院」などを訪ねる。聞きもらさないように神経を集中して聞く。しかし、次第に対話が成り立たなくなっていく。そして、どんなに立派な老人ホームに入居していても、最期を迎えようとする時の寂しさは避けられない。最も思うことは、行政は老人を丁重に扱っていないことである。介護士、看護士が少なく、過労を強いられている。身近に接する彼らが大切にされなければならない。そこで、はじめて老人たちは安心できる。また、老人ホームの数が圧倒的に少ない。それが有料老人ホームを商売として成り立たせ、勧誘合戦を起こしている。一時期に比べ、随分安くなっている。

 老人ホーム(病院)には色々ある。お金をかければ「言うことなし」とは言えない。適合するホームに入居できれば平安に過ごすことができる。転居(院)を柔軟に考えていい。そして、元気な人はできるだけホームを訪ね、老人と交わり学ぶ。また、開かれた人間関係を持っている人は適合、柔軟性が高いから、その訓練をしておくことであろう。自分の老後は見えない。頑固になりがちな老人を優しく受け入れる施設と心のゆとりがほしいとつくづく思う。