◇牧師室より◇

 ミレニアムという言葉で始まった今年も後一日で終わる。20世紀は「戦争の世紀」であった。新しい21世紀は平和であってほしいと誰もが望んで、出発した。しかし、現実は悲惨な争いと戦争が続いている。旧約時代は各民族・部族がそれぞれの神を押し立て、神の名によって生存をかけた戦争に明け暮れていた。それは覇権と利益を求めての戦いであった。グローバル化時代の現代も同じ構造である。科学技術は確かに進歩したが、自分(自国)を立て、隣人(他国)を利用し、蔑む様相は何も変わっていない。

 私は自分の行き方を含め、三つのことを期待している。第一は経済構造の変革である。現在、世界の富の60%が米国一国に集中している。これでは、貧しい国は立ち上がれない。テロの撲滅は不可能であろう。富の納得できる分配方法を確立することが平和につながる。小さな私たちには大それた問題であるが、教会はつんのめるように精神的、経済的、人的支援を心掛けることはできる。  

 第二は他者、異質者の受容である。自分中心で気に入ったことには情熱を注ぐが、気に入らないとすぐに拒絶してはいないか。他文明を受容し、共存することによって新しい文化が生まれる。理解できない、また反対だと思うことも忍耐して、まず聞く。受容は同意することではない。同意しなくても、その人と共生することはできる。教会は気のあった者同士のサークルではない。異質者、反対者の意見を聞き続けて自己変革する群れである。

 第三は未来からの視点である。今起こっていることを10年、50年先から見たら、どう見えるか。米国はとんでもない「ならず者国家」に写るのではないか。今の私の生き方、現在の教会のあり方を50年後の人々はどう評価するか。聖書はキリストの再臨による終末の裁きを告げている。神の裁きに耐えられる人はいない。そして、未来から今を見ることも不可能だが、その想像で自分の愚かさと時代の虚偽が透けて見えてくるのではないか。