◇牧師室より◇

 米谷ふみ子氏はユダヤ系米国人と結婚し「過越しの祭」という小説で「芥川賞」を受賞した。氏は30年以上米国に住み、その生活の中から人権感覚の鋭い、またユーモラスなエッセイを日本の雑誌に寄稿していた。それらを「なんや、これ?アメリカと日本」という本にまとめている。

 息子さんの通う学校では「国旗」に宣誓することが規則となっている。氏が子供の頃、敗戦後にやってきた進駐軍から「旗というものは、布切れに過ぎない。あんなものに敬礼するのは偶像を崇拝しているのと同じだ」と聞かされ、感銘を受けた。息子さんにこれを話し「自分の意見で判断して、したかったら宣誓したらいいのよ」と言った。息子さんは宣誓しなかった。担任の先生は自分の確固とした意見を通すことは民主主義の標本であるとクラスでほめてくれた。しかし、他の先生はしばしば、校長室に呼び出し文句を言った。ある先生は執拗に宣誓するように主張した。教育委員会に問い合わせたところ、「憲法上、個人の信条を守らねばならないから強制はできない」という返事で落ち着いた。個人の信条を尊重する風土はあると言えよう。

 しかし、同時多発テロ事件後は事情が変わってきているようだ。高校2年生の少女がアフガニスタン空爆に反対するビラを校内で撒いたため、停学処分を受け、また級友からのいじめに会い自宅学習をしている。大学の図書職員が米国のイスラエル政策を批判するメールを同僚に送っただけで停職処分を受けた。諸大学では外交政策に批判的な集会に出席したり、発言をしたりすると弾劾の標的にされ、暴力的な脅迫も及んでくる。捜査当局は電子メールやインターネットの記録を押収する権限を得ている。テロに関わったと疑われている人が600人も拘束されている。関係のない人もいるだろう。監視カメラで見張られ、批判的発言は封殺され、「思想狩り」的な動きが広がっている。一つの価値観、一つの方向への強制と無批判な同調は片方ばかりに乗った船のようにバランスを壊して沈没する。

 聖書に、ローマの重武装軍団・レギオンの霊が乗り移った二千匹の豚の群れは湖に向かって暴走し、皆溺死したとある。暴走を食い止める力は「信条の自由」と「言論の自由」である。対立する意見の尊重が民主主義の根幹である。