◇牧師室より◇
宮田光雄先生から、私が礼状を出す前に、手紙をいただき恐縮した。手紙と共に、先生の書かれた「御言葉はわたしの道の光 ローズンゲン物語」が送られてきた。皆さんも回し読みください。また、先生が出されている「一麦通信」が同封されていた。「最後から一歩手前の真剣さ」というタイトルで、朝日新聞に所載し、一部加筆したものを載せていた。先生の「ユーモア論」がよく伝わるので、その一部をご紹介したい。
「地上の世界の課題にたいしては、あくまでも真剣に取り組まねばならない。しかし、『究極的なもの』を深く確信し希望しておればこそ、地上における闘いの勝敗にすべてをかけるのではなく、それを相対化してみる冷静な姿勢もとれるようになるはずでしょう。(中略)
昨今、世界の各地で『原理主義者』たちによる狂気じみた行動が伝えられることが多くあります。地上に正義を実現しようとする自己絶対化が世界の平和を歪めています。自分をあたかも全能の主のようにみなす過大な自信は、たえざる自己主張とテロリズムも辞さない努力に通じているからです。しかし、『神々の争い』が捨て去られるところでこそ、誠実な人間性と真の世俗性が生まれ、冷静に即時的に行動することもできるようになるのではないでしょうか。
私たちは自分自身を笑うこと、逆に私たちの隣人を誠実に受けとめることを学ばなければなりません。それは、私たちが神の恵みに支えられ神の愛の中に生かされていることを知るゆえに、自分自身をそれほど重大視する必要から解放されるときに可能となるのです。みずからの小ささを自覚すること、しかも、そのことによって自分がけっして無となるのではないのを知っていること。そこから生まれる深い落ち着きと信頼から、ユーモアと笑いとが湧き出てくるでしょう。(中略)
キリスト者がユーモアをもって生き、喜びと笑いとを伝染させるとき、それは『人びとの前に光を輝かしなさい』というイエスの命令を実行することを意味しています。私たちが神に恵みの下なる自由に基づいて、いっそう多くのユーモアを生きることができるならば、この世の中はどんなに変わっていくことでしょう。」
永遠という視点を自覚し、時間内のすべてを相対化する。そこでは悲壮感なしに現実を見通せ、自分自身を笑い他者を受け入れ、「最後から一歩手前の真剣さ」で生きられる。