◇牧師室より◇

 今年の特別伝道集会は宮田光雄先生をお招きすることができた。夜の講演はアンデルセンの「はだかの王様」から興味深い大人向きの解釈で話された。主日礼拝では、一日働いた者と一時間働いた者に一日の生活費である同じ一デナリオンを受け取った「ぶどう園の労働者」のたとえから説教された。講演と説教は合い通じるメッセージであった。

 私たちは社会的な評価、業績による評価にしばられている。色眼鏡で見、仮面をつけ、悲劇的な努力をもって愛と賞賛を得たいとあがいている。しかし、そこでは自己矛盾と自己疎外の病巣を深めるだけで、アイデンティティーは確立できない。自己を受容し自分と和解し、神が作られたかけがえのない人生と認め、今ある自分を生きる。その時、自由で創造的で、静かな喜びが得られる。

 キリストの福音は自明なことではなく、驚くべき価値の転換を示している。一時間しか働かなかった者にも生存に必要な一デナリオンが与えられたように、圧倒的な神の恵みの中に生かされている。値なくして与えられた恵みの現実性の承認がキリスト教信仰である。その信仰から、業績ランキングによる無益な他者批判や自己絶望から解放され、「私である」ことを喜び、「私らしく生きる」ことが始まる。

 午後の懇談会で、キリスト教は生真面目で堅苦しい信仰ではなく、自分を笑うユーモアをもつ信仰であると話された。主イエスの笑いは「ガハハ」ではなかったであろうという話には皆「ガハハ」と笑ってしまった。先生のお話と人柄からそのユーモアがにじみ出て、自由であることの素晴らしさを教えてくださった。

 体調不良を押しておいでくださったので、個人的な話はあまりできなかった。しかし、聖書を信仰から離れた研究だけの読み方をしない、私たちを生かしてくださる神の言葉として読む、「私は護教的です」と言われたことが深く印象に残った。そして、伝道することに全精力を傾けておられる姿勢に感銘を受けた。