◇牧師室より◇

 子供の頃、西部劇をよく観た。開拓した西部の街をインディアンが襲い、皆殺しの危機になる。すると、ラッパを吹き鳴らしながら隊列を組んだ騎兵隊が来る。館内に大きな拍手が起こる。騎兵隊はインディアンを追い払い、街は元の安全と静けさに戻る。白人がインディアンの土地を奪った事実を知らず、主人公の立場で観てしまう。今はもちろん、このような西部劇は作られていない。

 私たちはテレビ、新聞、雑誌などによって世の中の情報を得ている。その時、どの立場で情報を流しているか、どこに立って聞いているかによって、事柄の受けとめ方が全く違ってくる。殊にテレビ映像は目に焼き、決定的な影響を与える。

 アメリカの同時多発テロは本当に衝撃的な映像であった。ブッシュ大統領の怒り狂う演説も「さもありなん」と納得できる。ところが、あの事件以来、テロの首謀者とされているビンラディン氏がいるというアフガニスタンの実情が放映され、初めて知らされることが多い。凄まじい貧しさ、兵器の貧弱さ、ビンラディン氏の物静かな語り口。一般市民を巻き添えにするテロは認められないが、テロによってしか世界に訴える方法を持たない事情も伝わってくる。

 「ショウ ザ フラッグ(旗を見せよ)」と脅され、憲法を捻じ曲げて強引に日章旗のついた自衛隊を出そうとする政府の対応は騎兵隊のしんがりにくっつく道化師である。

 騎兵隊の正義と秩序に拍手する者は奪われて苦しむインデアンを理解することはできない。私たちは見て聞いたことをひっくり返してみる柔軟さを持たないと事柄を事実に即して捉えられないのではないか。

 主イエスは「真理はあなたたちを自由にする」と語られた。自由とはひっくり返してみる柔軟さと自分を捨てる謙虚さで、ここから「共に生きる」福音が現れてくる。