◇牧師室より◇

 K兄が819ヶ月の生涯を終えて天に召された。召された後、奥様から兄の愛読聖句は「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」というみ言葉であったことを伺った。兄は幼年学校、士官学校、そして陸軍大学へと進まれた。軍人として、言わば超エリートの道を歩んでおられた。しかし、悲惨な敗戦を迎えた。受けてきた軍事教育は瓦礫のように崩れ去った。戦後は、恵まれた能力と体力で日本の経済復興に尽力された。ここにおける価値の転換は私たちの想像を越える。兄は人間の営みはどんなに立派に見えるものであれ、いずれ崩れ去る。神の前では人間は芥子粒のようなものであることを身にしみて体験されたのであろう。

 兄は74歳で受洗された。戦前、戦中、戦後の激動の時代を生きて、人間と社会の表と裏を見て、ご自分の人生観を持っておられたであろう。「若木」に書かれた受洗者の自己紹介文には率直な神への信頼を述べ、「これからは親子共々教会のあたたかい雰囲気の中で信仰の道を歩み平生な人生をおくりたいと念願しております」と結んでおられる。前立腺癌になり、9年ほど不自由な闘病生活をされ、奥様はじめご家族の篤い看病を受けられた。この間信仰は大きな支えであった。

 兄は社会的には、力強く懸命に働き、それぞれの会社で重責を果たしてこられた。ご家庭では奥様を愛し、子供のように甘えられた。76歳の時、「若木」に次のように書いておられる。「天に召されることも遠くないことを思い、あのきらめく星空あたりで妻と再び『天国に結ぶ恋』を実現したいものと念じています。然しよき夫であったとの自信がありませんので妻が果たして同意してくれるか?です。これから信仰を深め信頼を高めたいと考えています。」

 幾度か病床を訪ねた。聖書を読んで祈った時、兄は大粒の涙を流された。その涙は神ヘ開け渡した信頼の涙であったと思う。教会はまた一つ大きな宝を失った。しかし、信仰において天と地で結び合っている。