◇牧師室より◇

 M兄が86歳の生涯を終え天に帰られた。兄は本当に明るく楽しい人であった。誕生日や敬老の会などでの、ユーモアあふれるスピーチには皆大笑いさせられた。奥さんより先に、そして苦しみなくポックリ逝きたいというのが決り文句であった。確かに奥さんより先に逝かれた。苦しみは全くなかったとは言えない。膀胱癌から肝臓、肺に転移し、薬で痛みを和らげた。いつ訪ねても陽気に対応してくださった。召された時は平安そのもの、輝かしいほど美しい顔をしておられた。

 兄はご自分の葬式の準備を抜かりなくしておられた。遺書、尊厳死の要望書はもとより、葬儀社をも訪ね確認をしていた。私にも葬式のための資料を三回も書き直して持ってこられた。履歴、家族関係、愛読聖句、愛唱讃美歌、そして心に思うことを文章に書き遺しておられた。召される一週間前に開いて読んだが、深い感銘を受けた。兄の信仰と思いを紹介する責任があると、前夜式で私たちへの遺言として一部を紹介した。神を信じ、聖書のみ言葉に慰めと励ましを受け、気負わずにご自分の人生を誠実、勤勉に生きてこられた。

 兄は死に関して全く恐れはなく、むしろ望んでいるようであった。最後の入院になった病床で「私は86歳、死ぬには一番いい歳です」と何度か言っておられた。愛唱讃美歌はヘンデルのメサイヤからの第二編55番でした。その4節に「この皮この身は 朽ちはつとも、肉をばはなれて われ主に会わん」とある。この歌詞はヨブ記からとっている。ヨブは全ての財産と十人の子供を失い、更に自分の体も腫れ物で覆われる。ゴミ捨て場で飢えをしのぎ、茶碗のかけらで体をかきむしるという悲惨のどん底にあった。三人の友人は「罪を犯したから、罰を受けているのだ」と心ない因果応報説を語る。ヨブは憤然と「わたしを贖う方は生きておられ、この皮膚は損なわれようとも、この目で神を仰ぎ見る」と反論する。兄はヨブと同じように、肉体は朽ちても、神を見るという信仰にあった。今や、待ち望んでいた、鮮やかに神とまみえる祝福を味わっておられる。兄の素晴らしい信仰を教会で長く記念していきたい。