◇牧師室より◇

 今年の5月、ドイツの旧ナチスのブッヘンヴァルト収容所跡に「平和への貢献を讃える碑」が建てられ、その除幕式が行われた。讃えられた人々はナチスの侵略戦争に反対し、兵役拒否や脱走によって軍事裁判で裁かれた人々である。ドイツは彼らをこそ平和への貢献者とみなしている。過去のナチスドイツと現在のドイツは全く違うということが世界に理解されよう。私は、日本の15年戦争に反対し拷問を受け、無残に殺されていった人々が記憶されるべきではないかと思っていた。ドイツでそれを実現した。更に同じ5月、ドイツ連邦議会はナチス時代の強制労働者への補償金支払いを決議した。シュレーダー首相は「やっとここまで来ました」と語り始め「我が国の歴史的責任の最後で大きな一章が良き終わりに至りましたが、これは本当の『補償』には足らないものです。ただ、ドイツは過去の罪を認識しており、これからもそうであることを世界に示すだけです」と述べた。

 「改革」を旗印にしている小泉首相は80%を越す異常に高い支持率を得ている。閉塞感を打ち破ってほしい期待だろうが、時流に流される国民性に危ういものを感じる。

 その小泉首相は815日の敗戦記念日には靖国神社を参拝すると公然と語っている。靖国神社は天皇のために死んだ人を祀り、戦争拡大と共に「靖国神社の桜の木の下でまた会おう」と戦死の恐怖を麻痺させ、また意味づける機能を果たしてきた。それは今も変わらず、日本の侵略戦争に何の反省も批判もなく、A級戦犯の戦争責任者をも受け入れ、戦死者を英霊として美化し讃えている。この靖国神社への首相としての参拝は若者を「新しい英霊になれ」と促すことである。そして、一宗教法人である靖国神社を特別視し、人権の核である「信教の自由」を謳った憲法に明らかに違反する。

 日本はドイツのように過去を清算し、その責任を取っていない。戦争で大きな被害を受けた中国や韓国の反発は当然で、国際的にも認められることではない。平和を求め、戦争に反対して殺された人々の記念碑が建つ日が来るであろうか。