◇牧師室より◇
Y姉がご母堂・D姉の遺された短歌を、母親を想うご自分の短歌と共にまとめられた。姉を彷彿と想い出し、母娘の麗しさに感激した。「縁引く女等縫ひたる手っ甲の白きが目に沁む夫は柩に」 「まぎれなく夫は逝きけり闇の中銀色の壷の鎮まる」「苔むせるみ祖(おや)の墓に入りし夫読経に和する我が声聞くや」 「呼び返す術なき人よ今いづべ遺影仰げば日毎に悲し」 姉は優しく誠実なご主人に大切にされたと聞いていた。そのご主人の不在の悲しみと空虚感が伝わってくる。
姉は「生命延ぶ女性ぞ我も喜寿にして幸く生きむと短歌学ぶも」と高齢になってから詠み始めたらしい。このことが姉を本当に幸にした。「未だしも見たく聞きたき事多く老いの現に還へり苦笑す」「八十路にて初着のフォーマル洋装に羞恥と好奇の交々の我」「急激に流行しだししサッカーに老いたる我も歓声挙げき」と何事にも興味と関心を持たれた。そして「他人事と常聞き慣れし救急車いま我主役となりて運ばる」と自分を客体化して楽しむことを知られた。信仰に関して「目に見えぬ御手に引かれて聖堂に我は初めてクルス仰げり」と詠い、その9ヶ月後に受洗された。そして 「神様と幼き頃より目を閉じて念じゐし我今クリスチャン」と教会生活を喜ばれた。
老いを受けとめる短歌が多い。「兄嫁の訃報を受けしこの朝われ最年長となれる寂しき」「耳老いて言葉の綾の聞き取れず笑みて繕らふ我のをかしき」「ひたすらに黙して居れば我が自負の崩れゆくごと老いの深まる」「病めば娘の心配りに胸熱く永らふ老いの良しや悪しきや」しかし、「病院の朝高空に舞う鳶悔いなき老を生きよとぞ鳴く」「敬老と長寿の祝詞受くるとき我生かされてありと思へり」と積極的である。「命終の近づきたるを感づればあらゆる望みどっと押しよす」「いわれなく悲しさ湧きて泣きじゃくる米寿すぎたる身を苛むは何」この矛盾した心境はその歳にならないと分からない気がする。「我が夢は五月緑の風そよぐ径行きて果つれば夫の待ちゐて」と詠った7年後の緑の5月、夢通り見事に逝かれた。
Y姉は「疲れ果て老母との会話対等にせしことをまた悔やむたそがれ」と詠っている。D姉は「老いては子に従え」ということを知らず、最後まで母親然を通された。召された後、「昨日まで老母と書きゐし母にして今より亡母となれる現実」「死なれたらやっぱり淋しいと思ふやろ大阪弁の母の声のす」「自らの弱さ知るゆゑ死に近き日までユーモア持ちゐし母か」「めぐり来し母終焉の季節にて萌ゆる若葉の息吹にひるむ」と淋しさは絶えない。