◇牧師室より◇

中学生の時、若い社会科の先生が主権在民、民主主義、戦争放棄の三原則を持つ日本国憲法が生まれた事情と意味を情熱的に話されたことを鮮明に記憶している。

その憲法を変えようとする動きは年々大きくなっている。改憲は、専ら9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A前項の目的を遂行するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、これを認めない」に向けられている。アメリカの押しつけ、武力なしに平和は守れない、不正義には武力をもって制裁すると主張する。絶対平和は、預言者イザヤが「剣を打ち直して鍬とし、槍を打ち直して鎌とする」、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」と語っているように、確かに終末論的希望である。この希望に賭けて英知を尽くすか、争い合う人間の罪を現実とし生き残るための軍事力を是とするかの二者択一であろう。

また一方で、1条「天皇は、日本国民の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」から8条までの天皇条項の改憲を主張している。非人間的な天皇制は、民主的な国民であるなら主権を持つ国民の総意によって消滅するだろう。

私は、13条「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」から、全てを考えるべきであると思っている。

主イエスの十字架による罪の赦しは「私が私らしく、あなたがあなたらしく、共に生きよ」という生の絶対的是認宣言である。教会はこの是認宣言を全ての人に与えられている福音と信じている。