◇牧師室より◇

「日の丸・君が代」が法制化される時、小渕首相は強制しないと言っていた。ところが、学校現場では厳しく押しつけられている。東京・国立第二小学校では、卒業式での「日の丸」掲揚強行に対する異議をめぐって、17名の教職員に戒告と文書訓告の処分がなされた。被処分者は人事委員会に処分の取り消しを求めている。この小学校の卒業式で、音楽専科の教諭に「君が代」のピアノ伴奏が指示された。日本キリスト教団の牧師の家庭で生まれ育った同教諭は「自分の精神の核をなすものとして、唯一絶対とする神への信仰がある。天皇を神とする考えに基づき、その礼賛に用いられた『君が代』の演奏をすることは、私にとって内心の自由・信教の自由を侵される事柄である」と宗教上の信念を述べて、拒否した。校長はピアノ伴奏指示を撤回し、テープによって卒業式は行われたという。

千葉県立小金高等学校では、卒業生が自主的な卒業式をしたいと話し合いを積み重ね「要望書」を作った。ところが、教育長から校長に「学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国家斉唱を実施すること」という職務命令が出された。生徒たちは職務命令の撤回を求めて「請願書」の支持を訴え、8割を超える署名を集めた。教育委員会にその請願書を提出したが、「審議しない」との返答であった。一度だけ話し合いの機会を得たが、一方的な説明で終わった。生徒たちが計画した自主的な卒業式は職務命令という「上意下達」の壁の前で壊された。それでも、最後に「明日があるさ」の歌を卒業生が歌いはじめ、列席者全員の大合唱のパフォーマンスがあったという。

生徒たちの書いた請願書は次のようなものであった。「個性、個性と言いながら、最終的には命令によって従わせていては、本物の個性は育ちません。自主性を尊重するといっておきながら私達が意にそぐわないほうに向かったとたんに頭ごなしに怒鳴りつけるのでは、萎縮してしまうばかりで、何を考えているのかわからない子供に育つだけです。意見が対立しているのならば、命令でなく、話し合うことによってお互いの溝を埋めていけばいいのではないでしょうか。それが本当の教育ではないでしょうか。」 世長けた大人たちは管理して整然とした形を喜ぶが、教育とは程遠い。生徒たちの主張は何と健全、健康であることか。