世界一小さな鍵
「その扉を開けてはいけない」
そう言って彼は立ち塞がる。彼の纏うローブで視界は遮られ、扉は見えなくなる。
掌に残る感触。
その手を彼は握り、冷たさは温もりに変わった。そのまま彼は歩き出す。扉は回廊の突き当たりにあったから、必然的に背を向ける形になる。振り返りたかったけれど、彼に着いて行くのに精一杯だった。
誰にも見つからないまま居住区に辿り付いて、彼はやっと手を離してくれる。握られていた箇所が、握られていた通りに赤く色づいていた。
「すまない」
痛くはなかったので私は首を振った。
永い間、扉は閉ざされている。
閉じている事こそが証だった。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日であるのが平和だと人は言う。
でも、世界は悲鳴をあげている。
救いを求め、涙を流している。
空に錆が染み出し、大地から黴が浮き、海を罅が蝕む。
表面だけをキレイにしても、その下は醜く崩れている。
綻んで、繕いだらけ。
いつか、もっとも酷い状況で、壊れてしまう。
――すべての人々が。
そんなのは、嫌。
「新しい神を望むか?」
静かに、彼は言った。
優しい響きのない、清冽な声音。
見下ろしてくる苛烈なる双眸。
「覚悟はできているか?」
何故ならそれは大罪だから。
どれほど病もうと、新世界を望むは禁戒だから。
「鍵はお前だ。お前が望むのなら扉は開く。――世界を、再生の狂乱に陥れるか」
台詞の後半は吐息と消える。
私は、諾と、頷いた。
「俺が、共に行こう」
泣きじゃくる私を抱きしめる。衣服を通して嗚咽が伝わる。ああ、彼も泣いているのだ。
大いなる中の、ちっぽけな存在。
取るに足らないこの身を捧げ、贄となろう。
皆を救えるならば。