その塔に、扉はない。
昔、妖を閉じ込め、壁土を塗りつけて扉を潰してしまったと言う話。
本当かどうかは知らない。
扉があったと思われる部分が、他の部分よりも、新しい壁土なのは本当だ。
とある国に、1人の姫君が居た。見目麗しく、気高く、心優しく、国民に大層慕われていた。
国王夫妻は大事な一人娘を、それはそれは大事に育てた。
可愛がり過ぎて、姫君の内なる存在に、気づかぬ程に。
とある国に、妖の噂があった。姿を明瞭と見た者は居らず、怖れられていた。
それは、新月夜に、現れるという。
噂が聞こえるようになったのは、十数年前から。
姫君には時折、記憶の無くなる時があった。時――夜。
恐れた姫君はある夜、礼拝堂に篭る。
司祭に希い、共に祈りを捧げた。
気づけば両手は鮮血に塗れていた。
足元に転がるは原形を留めていない物体。決して刃物で切り裂かれたのではない痕。
――赤に浸されず僅かに残った、黒い布。見慣れた司祭服。
幽かに耳に残る歓喜の声。
口腔には僅かに生臭い臭い、味。
戦く。
惨殺の記憶が甦りはしない。
内なる存在は、姫君とは別のモノ。異なるソレを姫君が制御するは適わない。
だけれども今なら。
神の思し召しかもしれない、今なら。
ドレスの裾をたくし上げ、姫君は駆けた。
衛兵達は呆然と見送るばかりだ。
裏庭に辿り着いた姫君は、七つある塔のうちの一つに駆け込んだ。そして中から鍵を掛けてしまう。
知らせを聞き、追いついた国王や王妃がどんなに訴え、扉を叩いても開かれる様子はない。
「わたくしを外に出さないでくださいまし」
扉の向こうから姫君が訴える。
「妖憑きの者がいては王家の恥。このまま扉を閉ざし、閉じ込めてしまうのが最善の道にございます……!」
国王夫妻は開けようと尽力した。しかし内側から何らかの細工を施されたらしく、鉄製の扉はびくともしなかった。壁に穴を開けようとすれば、旧い塔そのものが崩れるかもしれなかった。
国王夫妻が身罷り、王家は代を重ねた。
長い間、その扉は閉ざされたままだった。開かない扉は、化け物を封じていると伝えられた。
誰も近づかなかった。
――やがて錆びた。
放置しておけば塔が倒壊する恐れが出てきた。
保全の為に厳重に塗り篭められた。
その塔に、扉はない。