煙草を歩道に備え付けの吸い殻入れに放り込み、寄りかかってたガードレールから立ち上がる。煙草、匂うかな。コーヒーでも買ってこ。
少し先に自販機を見つけて、制服のポケットから硬貨を取り出す。えーと、何にしようかな。こないだ発売したやつ、あるかしらん。
路地の前を通り過ぎる。ビルとビルとの僅かな隙間。カニ歩きしなけりゃ通れないくらい狭い。そこから生まれる強めの風はあまり気持ち良くない。重くまとわりついて鬱陶しい。
だから少し足早になった。
そのときだ。
また、わたあめの匂いがした。
甘くて――懐かしい感じ。
思わず振り返る。
薄暗い筈の路地が明るかった。そりゃいくら狭くても昼間なんだから多少は光が入るだろうけど、でも違う、そんな明るさじゃない。
おまけに路地じゃなかった。下町の裏通りのよう。縦横無尽に巡らされた紐に、やたらと提灯が吊るされてあった。
そして、屋台。ずっと向こうまで。
定番のたこ焼きにお好み焼き、わたあめにりんごあめ。風車に的当てに金魚すくい。遠くの方は幾つも重なった提灯の丸い明かりの下に沈んでよく見えない。その中を魚みたいに人の群れが行き来していた。
子供の頃、じいちゃんに連れられてよく行ったっけ。近所の神社の夏祭り。その日はどんなに夜更かししてても怒られなくて、花柄の浴衣も着せてもらえて、結んだ帯が金魚のしっぽみたいで好きだった。
懐かしさと好奇心に誘われて一歩踏み出す。
人混みにまぎれた途端、お祭り独特の熱気が押し寄せて来た。何しゃべってんだか解んないけど人のざわめきがあっちからもこっちからも聞こえる。提灯しか光源ないんだけどそれがまたいい。屋台のオッサンの濁声だけがよく通る。
ふと見上げた先に、顔がいっぱい宙に浮いてるんで驚いた。なんだ、お面屋さんか。格子に組んだ篠に狐のお面が幾つも掛ってる。
「お嬢さん、お面、どうだい?」
こっち向いた狐が言った。本物じゃない、売り子も狐のお面を被ってんだ。紺色の浴衣来て、赤いたすき掛けてる。
思わず周囲を見回す。自分の顔指差すと、白い狐はこくこく頷いた。この年でお嬢さんなんて言われると、ちょっと恥ずかしい。けど……やっぱ嬉しいかな。
「そ。お嬢さん。貴女。今日はこいつ付けてなきゃ」
頭上のお面を示して、当たり前のように言われた。
そう言えば、行き交う人、みんな白狐のお面を被ってる。
白くてのっぺりとしてて、けどひとつだって同じ表情のはない。それぞれのお面に朱筆で描かれたような模様が入ってる。髭とか図案化したみたいなの。浴衣来た親子連れが、本物の狐の親子みたいでおもしろい。あっちは友達同士かな。他の屋台の売り子もみんな狐だった。
「じゃ、貰おうかな……」
「へい毎度!」
元気よく返事した白狐が選んでくれたのは、鼻とか耳とかがあんまり鋭角的じゃない、輪郭のやわらかなのだった。つり目が笑ってるみたいで可愛い。目の部分に四角い穴が空いてる。
覗くと提灯の橙色の光が眩しかった。
(00/12/04)
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