『Egg in the land』
びっくりした。それが何なのか、思わず足を止めて見入ってしまった。だって――だって、土から卵が生えてんだもん。とんがったほうの先っちょが、造りかけの花壇のから少ぉしだけ、覗いてる。はじめからそこにあったみたいに、ごく普通に。
白くて、形も綺麗で。陶器みたい。
でもよく見ると、表面ざらっとしてるの。石膏で型抜きしても、ここまで精巧に造るのは無理じゃないかな。遠くからだと白くて丸いの、しか解んないけど、近くで見ると、ああ卵だ、って。
誰かの悪戯だと思った。土から卵が出てたら誰だって驚くでしょ。そんなところに卵が埋まってるだなんて思わないじゃない誰も。表面しか見えないけどサイズがちょっと問題。見えてる部分から推測して、かなり、大きいんじゃないかな。鶏とか蛇のじゃないよ、これ。
毎朝通る校門は正門で、その内側のアスファルトだったとこを畳一枚分くらいひっ剥がして、園芸部が花壇を造ってる真っ最中。登校中の生徒達が真横をぞろぞろ歩いてる。なのに誰も騒がないの。うちのクラスの男子とかだったら喜び勇んで喋くりまくってる筈。
もし気づいてる子がいたら――生徒だけじゃなく、先生だって絶対そのままにしとかないよね。ホームルームで言われたりしそうだもん。なのに何もないんだ。
帰りは部活があるからクラブハウス棟に近い裏門を出ちゃうんで解らない。けど帰りも正門通る子はいるわけで、朝は門柱の向こう側に花壇あるとしても、帰りはもろ正面。茶色い土の中であの白さはかなり目立つ。絶対解るって。気づかなくないと思うのね。
どうして騒ぎになんないんだろうって不思議で仕方なかった。
その理由は、どうやら、あたしにしか見えないらしいから。
目を逸らせなくって(実は触れない、が本音だ)、花壇の横で立ち尽くしてた。
後ろから来た誰かと軽く接触して。振り返って、謝りながら――あ、園芸部の。これはチャンスじゃない?
「この花壇? まだ造ってるだけ。一年がだけど。あ、何か植えて欲しいのあるの? リクエスト募集中だよ」
彼女は、花壇を今、見てる。見てるけど……花壇しか見えてないみたいだった。
あたしはのろのろと首を振った。彼女は、そう? と少し小首を傾げて、何か希望あったら遠慮なく言ってね、と微笑んで、くるっと踵を返して行ってしまった。あたしは立ち止まって後ろ姿を見送った。卵が生えてるよ、なんて言えなかった。
突っ立ったままのあたしを、通りすがりに何人か不思議そうに振り返ってく。不思議なのはこっちだ。誰か答えを教えてくれないか期待した。けど心の何処かが無駄だと言ってる。視界に入る風景がやけに虚ろだった。
鳴り響く予鈴。
走り出す生徒達とチャイムに急かされて、どうにか歩き出した。
それから何日か経って、ふと、違和感があった。何か、違う気がする気が、する。そんだけ。見た感じ。ぱっと見の印象。凄く難しい間違い探しの問題みたいの。錯覚かもしんない。
園芸部の活動日が月・水・金で、今日は木曜日だし。昨日とは変わってるだろうな。でも卵の場所は花壇の端っこの方だったから、あまり土いじられてなくて、そんなに変化ないかな。強い風吹いたら、表面の土とか飛ばされてそう。変わってるってもその程度。ほんのちょっと。
肯定してるのか否定してるのか、頭の中で何が何だか、本当なのか間違っているのか。解らなくなった。
金曜日。
花壇前で立ち止まりかけたあたし、クラスメートに話し掛けられた。あたしの背後に花壇。卵は視界に入ってる筈なのに、彼女何も言わなかった。あたしも、言わなかったけど。
怯えさせちゃ悪いってより、あたしが、変に思われそうだったから。
人には見えないものが見えてる自分を、誰より自分自身が変だって解ってるの。さらにこれ以上誰かに変だって思われるのには耐えられなかった。もしかして、言ったら彼女も見えるようになるかもしんないって思ったけど、言っても変わんなかったら、嫌だ。
翌日の土曜日と日曜日は、クラブ活動で裏門から入ったから見てない。校舎はクラブハウス棟とは正反対の位置にあるから裏門行った方が近いの。
練習中は思い出さなかった。
週明け月曜日。
普段はわりと忘れてるんだ。朝だけ、門を通るときにだけ思い出す。門――花壇が近づいてきて、あ、そうだって。夢にも見ない。無意識のうちに遮断してるのかも。卵が見えてること自体、夢ってことも有り得るかな。
夢だと良いな。
相変わらず埋まってた。
今朝は、見える面積が、少ぉし、多めかな、くらいだった。
今まで変わってないようだったのに。お休み中に誰かが気づいたりとか、猫とかが掘り出したのかな。でも、掘るんなら全部掘れば良いじゃない? それとも途中で嫌になって止めたのかな。――何で?
立ち止まらないように頑張って通り過ぎた。
そして。初めて見かけてから、一週間くらい経った今朝。
真夜中過ぎに雨降ってあちこちに水溜まり。綺麗な青空が映って良い天気。花壇の土も黒々してる。卵――は、濡れてない、みたい。乾いたのかもしんない。いつもより色白なのは、水分を含んで瑞々しい所為かも。
妙に何だか良く観察できちゃったのは……何故なら、卵、半分近くまで見えてたから。
突然、思いついた。見える部分が増えた――ううん、違う。
誰かが埋めたんじゃない、誰かが掘り出したんでもない――って。
ほら、地面に近い部分の殻に土がこびりついてる。白いから、よけいに汚れが目立つ。
これ、卵自身で這い出てきたんだ。
そう、何日も気がつかないくらい、凄く凄くスローペースで。立ち止まって凝視してても動いてる気配ないけど、確実に、動いてる。出てきてる。産まれようとしてる。生えてたんじゃない。埋まってたんじゃない。土の中から産まれようとしてるんだ。
そういうことなら……速くなってない? このままのスピードなら、全部出るまで、すぐだ。
どうして学校――この花壇から?
どうしてあたしにだけ見えるの。
何が産まれてくるの。
卵の向こうに繋がってるのはいったい何。卵の中に何があるの。卵の中に何がいるの。どうして花壇から出てくるの。解らない。産まれたら、どうなるんだろう。産まれたら。
そしたら。
そしたら――何が孵るの?
何が孵るの?
卵なんて、知らない。
友人が生徒会で書記やってて――先期が副会長だったおかげで、三年になっても選ばれちゃったって嘆いてた――今月は二回目の生徒総会があるとかで、生徒会役員は準備に追われて毎日遅くまで残ってた。終わる時間が同じくらいだったから、今日は一緒に帰る約束。
クラブのメンバーは裏門から帰っちゃって、他のクラブの子達も、早い時間に切り上げてたから、正門には誰も来なかった。先生もいない。人気の無い正門前。常緑樹の根元にぽつんと置かれたベンチ。年代もので、ペンキ剥げてない部分探す方が大変。常夜灯でベンチの周りだけまあるくぽかっと明るい。
そこが待ち合わせ場所なんだけど、誰もいない。まだ来てないみたい。校舎の方を伺うと、生徒会室のある辺りの窓は暗い。あ、昇降口の辺りが騒がしいや。あれは生徒会長くんの声だ。校舎にめちゃくちゃ響いてる。演説のときの声のデカさで会長の座を勝ち取ったって言われてるくらいだもんねぇ。
ここで待ってることもないか。迎えに行こう――っと。
視界の端を掠めた白いもの。
息を呑む。鼓動。落ち着け。目を閉じて深呼吸。背中を冷えた空気が通り抜けて、仄かに残ってた熱が消えた。ゆっくり五、数えて。思い切って目を開ける。そっと、そっと視界を移動させて。すぐ近く。あたしの足元。
ひゅ……っと、喉が鳴った。
卵。
大きさはバスケかバレーボールくらい。周囲や、新しく出た部分は酷く汚れてる。とうとう産まれたんだ。形は鶏の卵に似てる。常夜灯に照らされて白く輝く。あたしだけが知ってる――あたしだけが見てた。あたしだけに見えてた。他の誰も見てない。知らない。気づいてない。
誰も来ない。何で。どうして誰も来ないの。あんなに煩かった昇降口は、嘘みたいに静まり返ってる。
卵はじっと動かない。あたしも動けない。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
突然ピンッと金属を引っ掻いたみたいな音がした。それは卵の表面にひびが入った音だった。ひび割れはだんだん表面を侵食してって、殻が零れてついに小さな小さな三角形の穴があいた。どんどん広がってって、溢れた半透明のぬめりのある液体が、ゆるゆると殻の表面を伝って地面に溜まってく。
内側から見えたのは液体に塗れた、指。白くてほっそりして、爪もある。弱々しくもがいて、必死に卵の中から這い出ようとする様が、妙にリアル――
(01/08/17)
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