『Cake tower』




 市街地から少し外れたところにタワーがある。地上98階、地下4階の、ショッピングモールやアミューズメントパーク、企業や自治体のオフィス、公共施設、各種診療科目の病院まで入った摩天楼。
 輪切りにすると六角形だか八角形だかをしていて、上へ何階か登る毎に直径は段々に狭くなっていく。白亜の外壁も相まって、見た目は細長いケーキに似ている。正式名称は地方行政何とかタワーって言ったような気がするのだけれど、通称はケーキタワー。ケーキの真ん中と最上階は展望台。
 正面入口を入ると、本物のアカシアの巨樹が出迎えてくれる。6Fまで吹き抜けの広いフロアに枝を広げた様は良く出来たオブジェみたいだ。タワーが建つ前からこの地にあったのをそのまま利用したという話。アカシアを囲い込むようにフェンスが巡り、その向こうにプロムナードがタワーの中心部へと続いている。
 そのプロムナードと並行してエスカレータが左右に三基ずつ。右が上りで、左が下り。そのうちの二基は2FとB1Fを繋げていて、残りのは一気に6Fまで上がれた。もちろんタワー内には他に幾つもエスカレータやエレベータはあって、ここのは正面入口のだから利用率は一番多いのじゃなかろうか。
 今日、目指すは6階。友達と待ち合わせ中。
 ステップに乗って、少しも上がらないうちに軽い衝撃。
 故障か何かあったのかと顔を上げた。
 グランドフロアから遥か上の天井は、白い照明パネルに埋め尽くされている。光量が強すぎて(アカシアの為なのだろうな)6F付近は白くぼやけて見える。  眩しさに二、三度瞬きして。
 ――あれ?
 周囲に人はまったくなくなっていた。流れていたクラシックも聴こえない。エスカレータだけが動いてる。
「ようこそ、遊覧自動階段へ」
 え?
 見回す。誰もいない。
「ようこそ、いらせられました」
 不意に聞こえ出した軽快なメロディ。遊園地のパレードみたいな、明るくってうきうきしてくるようなやつ。
 声の主は真横のベルトに乗っている――何? このちんまいの……。
 がばっと反対側に背中からへばりつく。
 兎、だった。白いの。驚くほど長い耳。紅い目。ふにふに動く桃色の鼻。ヒゲ。身長は30センチくらい。
 それなら(少し大きめかもしれないけど)普通の白兎だろう。決定的に違うのは、直立していて、あろうことか燕尾服を着ていることだった。体毛に負けないくらい白いシャツ、瞳と同じ真っ赤な蝶ネクタイ、縦縞のスラックス、黒い革靴、光沢のある焦げ茶色のステッキ。
 ――何だろう、コレ。
「ええと、お嬢さんはちょうど――人目のお客様で、記念に特別御招待されました。おめでとうございます」
 ……はあぁあ?!
 記念って、何の? ケーキタワーに来ただけなんだけど……
「わたくしが本日の案内役を務めさせて戴きます。宜しくお願い致します」
 こっちが動揺してるのなんかおかまいなしに白兎は続け、自分の目の前でくるんとステッキを回した。右の掌を上に向ける。瞬きした次の瞬間、その手にでっかいコップが現れた。白兎の手はずっと小さいのに絶妙なバランスで乗っている。
「どうぞ」
 差し出されて思わず受け取ってしまった。ムーンファイアのロゴ入りラージサイズ・タンブラー。
 ムーンファイアってのはケーキタワーにも入ってる人気のカフェ。高校生でも気軽に入れるカジュアルな雰囲気で、しかもリーズナブル。だもんでしょっちゅう利用させてもらってる。うわぁ、このタンブラー、春限定で売ってたやつだ。欲しかったんだけど、何処の店舗でも売り切れ続出で買えなかったんだよね。
「本日のサービスでございます」
 そっぽ向いてた太目のストローがくりんっとこっちを向いた。微かに香る甘さ。ストロベリー&クリームだ。摘みたて苺と生クリームをシェイクしたやつ。クラッシュアイスも入ってて、大好き。
 でもこれ、本当に貰っちゃって良いのかな。喉も渇いてたし、何か飲みたいなぁって思ってはいたところだったけれど。
「お客様の御希望になるべく添えるよう努めるのがわたくしどもの役目にございます」
 そう言って白兎は優雅に会釈した。長い耳もふわんて揺れた。
 わ、可愛いー。
 白兎に目で促されるままにストローを咥える。シャクシャクした冷たい液体の喉越しが気持ち良い。
「まず最初は2F、月の輪熊の手品にございます」
 指し示されたのは背後。振り返ると、吹き抜けに張り出した、2Fのバルコニー。
 熊がいた。白い燕尾服を着て直立している。丸い耳と耳の間に小さな白いシルクハット。
 胸ポケットに入れていた紅いハンカチを取り出し、自分の左手の上に被せる。被せたハンカチの何センチか上を、右の掌でゆっくりと撫でる。カウント。ワン、ツー、スリー!
 ハンカチを翻して取り去る。ぽんっと軽い音がして、ケムリとともに現れたのは一輪の真紅の薔薇だった。ちょっと得意げにかざして見せて、熊は薔薇を指で弾く――回転しながらこちらに飛んできた!
 普段の運動神経が信じられないくらいに上手くキャッチできた。しかも片手で。棘は取ってあって怪我をすることもなかった。花弁がベルベットみたい。
 貰って、良いのかな?
 首を傾げて熊を見ると、シルクハットを取って、優雅に頷いてくれた。
 あは、嬉しい。
「続きましては3F、ペリカンの剣の舞いにございます」
 ええっ、ペ、ペリカンんん〜?!
 あ本当だ。黄色い嘴のペリカンが、えっと、ひうふう……十羽くらい、翼の先っちょ(どうなっているのかさっぱり解らない)で柄を持って、ぺたぺた踊りだした! 
 剣っても、半月刀って言うのかな、刃が三日月みたいに湾曲してるやつ。クルクル振り回して、よく相手とか自分切っちゃわないなぁ。
 吹き抜けは円形をしているから、エスカレータが上の階へ上がる毎にエスカレータとフロアとの距離が近くなっていく。4Fに近づく頃にはペリカン達を斜め上から見下ろす感じになって。お尻振って(可愛い♪)、一列になって八の字を描くように踊っているのが良く見える。
「選りすぐりのペリカン隊の剣舞、堪能して戴けましたでしょうか。お次は、双子の手長猿によるジャグリングでございます。絶妙なコンビネーションをご覧くださいませ」
 そっくりなお猿さんが2匹(アカの他人だったとしたって区別付けられないと思う。似過ぎてて)、一輪車に乗ってる。1匹は両手に幾つもの銀色の輪っかを持って手首の返しを利用してグルグル回してる。もう一匹は手ぶら。2人で円を描くように一輪車を漕いでる。首に結ばれたお揃いの水色のリボン。
 手ぶらの方が両手をぱっと肩の辺りまで上げた。その指には赤いボールが幾つも挟まってる。あれ、いつのまにぃ? と思ったら、ぽんぽんボールを相方に投げ出した。でも相方は輪っか持ってるのに受け取れないじゃない。
 ――受け取ってる。輪っかで。内側とか外側にボール当ててお手玉。8個全部、リズミカルにぽんぽんぽん。輪っかもクルクルクル。すっごーい。上手―。
 ボールも輪っかも一人(一匹?)占めしちゃった。そうしたらボール出した方が憤慨したように、ジャグリングしてる相方の周りをグルグル物凄い勢いで回りだした。あはは、怒ってるー。
 そうしたら相方、ボールごと輪っかを放り始めた。凄いスピードで回りっぱなしのほうの相手へ。でも全然見てない。背後にだって無造作に(いっぱい練習したのだろうな)投げてる。一輪車で回ってる方もひとつも落とさずに全部キャッチ。
 うわぁ、拍手拍手!
 ジャグリングしながら猛ピッチでペダル踏んでる(でも落とさない!)その円の中心で、お猿さん、得意満面で(そう見える)お辞儀した。
「最後を飾りますのは我らが自慢の黒豹の歌姫にございます」
 ライトに照らされて輝くつややかな黒い毛並み。金色の双眸。もちろん直立二足歩行で、薄布を何枚も重ねて、ドレープがいっぱい入ったトーガみたいな真珠色のドレスを着ている。おもむろに腕を差し出すように広げると――彼女は歌いだした。
 音感なんてない。ポーンと音出されて、この音は何? って訊かれたって答えられない。
 それでも、聴くことは出来る。美しい音だと、感じることは出来る。
 エスカレータのベルトにしがみついて、身を乗り出すようにして彼女の歌声に聴き入る。
 吹き抜けに張り出したテラスに彼女は立っていたのだけれど、その姿が見えなくなるまで動けなかった。息をするのすら忘れた。きっと止めてた。自分の吸い込んだ息と吐き出した息の量に驚いたもの。涙が零れそうになった。
 興奮して振り返ると、白兎はどうですかって言わんばかりに長い耳を左右に揺らした。
「お楽しみ戴けましたでしょうか。御付き合い下さいまして、誠にありがとうございました」
 歌声の余韻を纏って。
 ステッキを持った左手を背後に回し、右手を胸に当てて、白兎は優雅に首を垂れた。
 ふっとエスカレータのステップが水平になった。6Fだった。前に立っていた人につられて降りる。人々のざわめき。インフォメーションアナウンス。スピーカから漏れる音楽。夢心地でバルコニーに近づいて、吹き抜けの階下を見下ろす。アカシアの緑。幾何学模様の床。ずっとずっと下の地上で無秩序に蠢き回る人々。
 あまりに現実過ぎて、眩暈がした。








(01/08/17)



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