今回はホームページ開設にあたっての初の山行記録となりますので、記念的な意味も持たせて、何故若い頃はあんまり興味の対象でなかった登山が今になって第一番の趣味になったのかの説明から始めます。

以前に勤務していた会社で若かりし頃登山クラブを結成していたOB連が「ふみあと」なる同人誌を再刊して、その第11号にゲストとしての投稿を依頼してきました。私が若年の頃は、野球・スキー・テニスなどに熱中して登山にはまったく理解がなかったのに、最近になってよく山に登っていることが知れて、依頼を受けたものです。

ここでその投稿を一部手直しして再録し、60歳前後から登山を始め、今夏念願の「岩と雪の殿堂」の剱岳(上市町では剱を使用し、立山町では剣を使用しているとか、私は剱の字を好みます)の登頂を成就した経緯を知っていただき、計画的な登山をしていけば定年を契機として夫婦で登山を開始しても、十分に間に合って大いなる喜びを見出せることをお伝えしたいと思っています。

深田久弥さんは山にかかわる名言をたくさん残しておられますが、郷里長野市の高校の先輩である文人登山家の清水栄一さんに贈られた「百の頂に百の憩いあり」の名言を、私流に短縮して「百頂百憩」としています。「百頂百憩」万歳。

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2000年2月29日

私の登山

一昨年の春頃から枚方の山、京都北山と山行をご一緒するようになった先輩のご依頼により、DMCの再開同人誌11号のために、特別に重い筆ならぬパソコンワープロのキーを打つ羽目になった。多少の好奇心も手伝って、数ページの汚し代を提供する次第である。

 

1. はじめに

会社入社当時野球、スキー、テニスと専ら白い筋肉を利用するスポーツを楽しんでいて、登山は何であんな苦行が楽しいのかと、いささか白い目で見ていた私が何故突然のように5−6年前より登山にのめり込んで行ったのだろうか、このあたりからキーを打ちだそう。

昭和の御代の終わり頃、そろそろ会社人間を卒業した後の人生の楽しみを、考えるようになった。その頃には、スキーを楽しむには体力的に限度が見え始め、またテニスも勝敗にあまり拘らずにプレー出来るようになったと言えば格好がいいが、腕の衰えが目立つようになって来た。私は「南太平洋」を書いたJ.ミッチェナーの「スポーツの危機」なる本を一時よく読んでいたが、その中で年齢と生涯スポーツについて述べた一節があり、その思想に共感していた。年齢にふさわしいスポーツがあり、上手にスイッチすることが、大切であるとの主張である。

更には子供等が徐々に自活するに至って、家内と共にする時間が必然的に増えて来た。

そんな折に、枚方市主催の木津川沿いに木津から八幡市までの30キロメートルを、のんびりと歩くハイキングに参加して、自然とのふれあいを楽しむことが出来た。大阪市のウオーキングジャンボリーにも参加して、長距離ハイキングの魅力を認識しだした。

ぼつぼつ他人様の計画に乗ってのハイキングを卒業して、マイペースで歩くことを考えて、東海自然歩道を歩いてみたらどうかと、平成3年4月に石山寺から上醍醐寺(正確なコースは上醍醐寺には至ることはない)まで歩いてみた。その際に西国33ケ所巡りをすることも思い立って、石山寺で朱印帳を買い求めたことであった。以来東海自然歩道は、平成7年10月に三重県の中太郎生まで、延べにして約380キロメートルを歩き連ねた。また西国33ケ所は、平成6年8月に満願の岐阜県は華厳寺を訪れることが出来た。

東海自然歩道を歩いた際には、比叡山、音羽山、鷲峰山、倶留尊山とそれなりの山を登り、知らずに足腰も鍛えられていった。また近鉄主催の奈良から飛鳥までのマラソンハイク(距離42.195キロメートル)に5回以上も参加し、赤い筋肉が補強され、スタミナにも自信がついてきた。

おりしも平成7年の夏に、61歳の実定年を記念して、バスツアーで富士登山をした。富士山5合目(標高約2300メートル)からスタートし、途中8合目手前で仮眠して、翌朝山頂より山中湖・丹沢山塊の彼方に、ご来光を拝することが出来た。帰途についたバスの中での確認によると、約半数のツアー参加者は、頂上に至ることが出来なかったとのことであった。時間的な制約があったことは勿論であったが、急激に高度を上げたことによる高山病の症状により、体調不良になったことが大きな理由のようだった。さあ、これで本格的な登山にかなりの自信をつけてしまったのである。

翌平成8年の夏に娘夫婦が白馬岳から白馬大池へと登山をしたいがと、同行を依頼された。娘は、スキー・テニスを教えた私が若い頃には山を登っていたと多少誤解していた節があった。北アルプスの入門コースである白馬岳は素晴らしかった。レンタルの軽アイゼンを付けた雪渓の涼しい快適なアッセンド、初めて見る本格的なお花畑、これで完全に夏山の魅力に取りつかれ、岩崎元郎氏を教祖とする(中)高年の登山者の誕生になったのである。

2. その後の山行

夏山の魅力に取りつかれたとはいえ、それは安全を旨とする堅実派の私のことである。専ら梅雨明け10日に登山スケジュールを設定するので、それほど沢山の山に登っている訳ではない。興味はないことはないが、この年で百名山を目指すなど論外である。

簡単に白馬岳以後の実績は以下の通りである。

平成09年夏  立山から五色ケ原・黒部湖   鬼岳で雷鳥の親子に遭遇

平成09年秋  南八ヶ岳(硫黄岳から赤岳)   横岳のキレットで緊張

平成10年春  北八ヶ岳(中山峠から蓼科山) 連休明けにつき、ヒュッテは貸し切り

平成10年夏  槍ヶ岳(槍沢コース)        上高地から槍ヶ岳山荘まで一日で

平成10年夏  高妻山               牧場から一日でハードな登山

平成11年夏  八剣山(八経ケ岳)        近畿最高峰

平成11年夏  穂高連峰(奥穂高・前穂高)   奥穂高岳では360度の眺望

平成11年秋  甲斐駒ケ岳と仙丈岳      仙水小屋の食事は評判通り上等      

以上の山々以外にも、愛宕山・伊吹山・武奈ケ岳・皆子山(京都府最高峰)・高見山(霧氷)・三峰山(霧氷)・藤原岳(フクジュソウ)・稲村ケ岳など京都の北山、比良、大峰・台高の山々も楽しんでいる。

3. 山日記風な記録

帰宅して、娘夫婦にe-mailで山行の報告をしているので、そのログをコピーする。帰宅直後で、特に印象に残ったことが記されているが、やたらと食べ物の話が多いのは私の育った時代背景を物語っているようだ。

(1) 穂高連峰山行ログ

我々も予定通りに8月1日夜無事に帰宅しました。重太郎新道は多少時間が掛かりましたが、天気が良かったのとルートの整備が出来ていたので快適でした。

7月29日 曇時々晴一時霧雨

横尾山荘までは勝手知った道、霧雨で前穂高が見えず残念、本谷橋までは全くのハイキング気分であった。本谷橋より登紀子トップで多少ペースをおとしてゆっくり登るも5時間半ほどで涸沢ヒュッテ着。東側の屏風岩、常念山系ははっきり見えるが、西側の穂高山塊は辛うじて北穂高岳がうっすら見えるだけ。

いもコッロケ、冷えた麻婆豆腐の夕食をすませて、ヒュッテのサンダル履きで涸沢小屋までカール内を散歩する。お花畑は150メートルほど高いところにあり、明日の楽しみとして低いところをぶらぶらする。まとまってはいないが、ニッコウキスゲ、ハクサンフウロなど散見する。

一畳当り1人でまあまあ。水は穂高山塊の伏流水だから豊富で美味しい。

7月30日 晴後ガス

パノラマコース経由で奥穂高に向かうも、ルートを間違えて新パノラマコースに入り込む。道標の不備、ルートの一時閉鎖および当方の思い違いからのミスで、まずおこり得ないことであった。

ザイテングラートの手前のトラバースルートからトップを代わり又ゆっくりと登る。途中のお花畑には、シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、クルマユリ、チングルマなどがあり、カメラマンもたむろしていた。ザイテングラートは休息なしで登り、正味3時間半ほどで穂高岳山荘に到着する。

小休止して涸沢岳に登る。往復50分ほど。頂上からはガスがかかって何も見えない。ときたまガスが切れると飛騨側の落ち込みには高度感がある。これまであまり高度差のある景色を見てきていないので、恐怖感をそそる。

食事はまあまあ。ただしBGMは一級品。水は天水とかで、出発時のお茶も有料。これまた有名な図書室で高山植物の同定をして余暇を過ごす。カラマツソウ(モミジカラマツ)、ミヤマアキノキリンソウなどを覚えた。

主人の今田英雄さんはシャイな人のように見受けられ、いつもニコニコして帳場に座っていた。ダクロンクイックドライのT−シャツ土産に買ったので乞ご期待。一畳に2人で、隣におおいびきの男性がいてかなりの寝不足となった。

7月31日 快晴

朝飯時に僅かながら朴葉味噌が出てセンスを感じた。夕食をリカバーしたかも。英雄さんに奥穂高岳登頂の証明サインを貰う。「心はいつも穂高に在りて」と。

いよいよ今回山行のメインイベントの奥穂高岳、吊り尾根縦走、前穂高岳の日である。早朝登頂した下山者もあり、二段の梯子・鎖場は渋滞したが問題なく奥穂高の頂上に到着。360度の展望を楽しむ。白山と乗鞍岳の間の遠方に多少の雲が出ていたがパソコン山望で演習した通りの景観であった。お社の前で写真を撮ろうとした際に、登紀子は帽子を風で飛ばされあわや涸沢カールまでと思いきや近くのくぼみに引っかかり事無きを得た。

吊り尾根縦走からは九州からのツアー登山者の後を追う格好になり、難所では待たされたが結果的にはゆっくりペースで、楽に岳沢ヒュッテに到着した。ただし所要時間は、昭文社の標準時間よりおおよそ2時間遅くなってしまった(穂高山荘から岳沢ヒュッテまで前穂高岳の往復を入れて6時間55分)。紀美子平からの前穂高岳の往復は結構ハードで、荷物なしで行動したが今回の山行で一番きつかった印象がある。紀美子平からの鎖場は渋滞を別にしたらガイドブックに書いてあるほど難しくなく、戸隠八方睨みの小キレットの方が難しいかもしれない。ただ雨が降ったら全く様子は変わるだろう。なおこの重太郎新道は、紀美子平から岳沢ヒュッテまでの下り1.5キロメートルが標準で3時間となっていることから、北アルプスきっての難路であることは間違いない。

夕食は鱒のフライなど味噌汁も美味しく食事は今回のベストだろう。なお小生ヒュッテに到着した際にかなりの脱水状態になっていたせいもあるが、中ジョッキの生ビールのうまかったこと例えようがない。ただし800円也。部屋は一畳当り1.25人(定員8人に対して10人収容)実質2人で快適とは言えない。水は岳沢の伏流水と思われ豊富で美味しい。夜は九州のツアー登山者のリーダー等が、リコーダーとオカリナで山の歌を演奏していい雰囲気であった。

8月1日 晴

いよいよ穂高にお別れである。例によって九州のツアー登山者グループにつかず離れずで上高地河童橋に向かう。最後にグループを追いぬき、1時間45分ほどで河童橋に到着する。河童橋で改めて奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳、岳沢を広く眺めて健闘を祝す。

時間があるので梓川右岸を経由し田代池までクールダウンを兼ねて散歩する。田代池からの穂高連峰の眺めはベストではないかと思う。村営食堂で岩魚・盛りそばを食して帰りのバスに乗り込んだ。登紀子はもっぱら林檎であった。(明神館・徳沢園・岳沢ヒュッテ・村営食堂)。

帰りのバスでは快い眠りをむさぼりサービスエリアでの飲料補給を欠かさなかった。

(2) 甲斐駒ケ岳・仙丈岳ログ

こんにちは

3日23:00頃予定を早めて帰阪しました。大平山荘に宿泊する予定でしたが、仙水小屋4:30早立ちのお陰で14:30過ぎに北沢峠にゆっくり戻れましたので、予定変更しました。

9月30日 晴

5:41家具町一番バスで京都経由名古屋へ。8:00の「しなの」に乗り、予定通りに15:00過ぎに北沢峠に到着、長衛荘に宿泊。夕食は鯖の味噌煮・鶏ソテー・豚汁など山小屋にしては、could be worse。もっともバス停前の山小屋だから割り引く必要あるかもしれない。消灯20:00。

10月1日 晴後曇

5:14長衛荘発。10分ほどヘッドランプ使用。鳥はメボソムシクイなど。7:10頃双児山にて朝弁を食す。甲斐駒ケ岳・鳳凰三山・北岳・仙丈岳などきれいに見えて先ず感激する。駒津峰にて小休止し、10:06に甲斐駒ケ岳(信州側では東駒ケ岳と称する)に到着。この時間になるとガスがかかり、周りの山々は何も見えない。

10:36に下山開始。駒津峰・仙水峠を経由して仙水小屋に14:34に到着する。駒津峰から仙水峠までの下りは南アルプス屈指の急坂とかで、だいぶん脚にきた。高山植物はほとんど見られず、ダケカンバの黄葉が駒津峰あたりに見られただけである。もっとも気候は約一ヶ月遅れているとの事。甲斐駒ケ岳の頂上付近は花崗岩の砂粒なので、下山に注意が必要であり、靴底のフリクションを利用した歩き方の勉強になった。

仙水小屋の夕食は造り(鰹のたたき・たこ・貝)・トンカツ・かきあげ・おでん・フルーツなど会席膳で、情報により仙水小屋を選んだのは正解であった。宿泊代は一泊二食\6500で長衛荘より安い。翌日の朝食は3:40頃に準備出来ていて、早立ちの登山者にも朝弁でなく、あつあつの味噌汁を準備するのが心意気のようであった。

本日のグロス歩行時間(含む食事時間・休憩時間)9:20・ネット歩行時間7:01・昭文社地図歩行時間6:30。獲得延べ高度1362メートル。消灯19:00。

10月2日 晴

4:30仙水小屋出発するも、ヘッドランプの明かりだけでは北沢の第一徒渉点が分らず、夜の明けるのを30分ほど待とうかと待機していたところ、幸いにも北沢峠からの登山者が来たので徒渉点が判明した。今回の山行における第二の学習点であった。即ち、前日明るいうちにルートを調査すること。

北沢峠に戻り小仙丈岳を経由して仙丈岳に向かう。三合目・六合目で小休止し、8:35小仙丈岳に到着。前日とはうって変わった絶好の好天気で、北東は甲斐駒ケ岳・鋸岳・浅間山・八ヶ岳・妙高山、北西は槍穂高・乗鞍・後立山・白馬連峰、南西は仙丈岳、南東は鳳凰三山・富士山・北岳・間ノ岳・丹沢山塊など360度の好展望で、正にパソコン山望の画面通りである。

10:10に仙丈岳頂上に到着。約一時間も大展望を楽しみながら持参のパン・鮪大和煮・梨などの昼食を取る。今回は山小屋の昼弁を頼まなかった。もっとも仙水小屋では原則昼弁を受けてくれず、曰く甲斐駒ケ岳には早立ちすれば昼食は仙水小屋で取れるとのこと。

11:10に下山開始。馬の背・藪沢経由で大平山荘まで下る。馬の背はダケカンバの黄葉が見事と言いたいが近くで見ると枯葉が混在して惨めな感じ。でも遠目だと全体が黄色に変わっていてそれなりに見事である。藪沢新道にはお花畑がありシーズンにはさぞきれいなものと思う。頂上付近のウラシマツツジのくさもみじはベストであった。仙丈避難小屋の下の水は冷たくて最高に美味。

本日のグロス歩行時間10:13、ネット歩行時間7:42、昭文社歩行時間7:25、獲得延べ高度1452メートル。登りは標準時間から2.5%プラス、下りは6から20%プラス、全般に5から7%プラス程度でクリアー出来た。

伊那市駅発17:47岡谷を経由し塩尻で18:45発の「しなの」30号がキャッチ出来無事に帰阪できた次第。岡谷-塩尻間は7分間の特急を利用したが、これで「しなの」に乗れて値打ちものであった。

長谷村の人々は皆いじらしいほど親切で、今回の山行の印象を一層良くした。土産は長衛荘のオリジナルバンダナ(一種類しかない)。

最後に一言。午前中にうたた寝をしていたところ木の根で足を横に滑らした夢、木の根に足を取られた夢を見た。今回は結構タフなルートであったのかも知れない。穂高山行から二ヶ月全くトレーニングなしであったのも関係しているだろう。

4. 色々と思うこと

若い頃には、余り興味の対象でなかった登山に60歳前後の高年になってのめり込むに至った経緯およびその後の実態が、少しはご理解頂けたかと思う。きっかけはハイキングからであり、自然と足腰が強くなり、それならとより高い山に登っているうちに、いささか食わず嫌いであり他にもすることがあったので敬遠していた登山が、大変に面白くなってきたと言うことである。

月並みな表現であるが、汗をたらし息をきって登った頂上での爽快な気分は、下界ではやたらに経験出来ることではない。小生の尊敬し敬愛してやまない北口山スキー研究所の北口礼吉さんの持論は、「登山では現実に六道を経験できる」であり、登山と修験道の類似性をご教示される。正確な理解ではないと、お叱りを受けるのを覚悟の上で、パラフレーズするとおおよそ次の通りのようだ。先ず地獄道(息が上がり、披露困憊したらまさに地獄)次いで餓鬼道(喉が乾く、腹が減る)、畜生道(場所によっては四つん這い)、阿修羅道(気持ちがたかぶる、自我・エゴが出る)、人間道(維持するのが困難)そして天上界、この素晴らしい境遇を何に喩えようか。私は山行の全てを家内と一緒している。家内の見るところ、私は現在何時も餓鬼道にいるようだ。

山に登る楽しみは3回ありとよく言われる。山行計画の作成・実行・帰宅してからの整理の各段階である。全くその通りである。最近は山で取った銀塩写真ネガをフイルムスキャナーで、パソコンに取り込む作業を始めているが、これが誠に面白い。改めてモニタ上で拡大して見ると、なかなかの傑作が残されていることがある。特に背景に思いもかけていなかった名山が写し込まれていると、ヤホーと快哉を叫ぶのである。山の写真はカメラの種類とか撮影の腕前によるのではない、専ら天気であると言うのが持論である。私は余裕を持ちたいので、だいたい午前中に山頂にいることが多いから、順光の西から北側の山にチャンスがあることになる。今までで最高と自讃しているのは、奥穂高岳頂上からの槍ヶ岳で、背景に白馬三山・針ノ木岳・立山連峰・水晶岳が写し込まれているものである。カメラは、娘夫婦に還暦祝いでもらったコニカ ビッグミニを愛用しているが、デジタルカメラがもう少しコンパクトになれば、買い求めたい。

今年の梅雨あけ10日には、いよいよ懸案の剣岳を目指すことになる。剣岳を登ったら、その後は北岳(白峰三山)を目指し、それ以降は雲の平とか尾瀬などもう少し気楽に歩ける登山に切り替えようと考えているこの頃である。

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