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−発端−
古事記、日本書紀が天皇にとって都合よく書かれたものだ。
日本は、ユダヤ人の末裔が渡ってきて建国した。
など、いろいろな説を読んだ。
しかし、どれも信憑性に欠け全てを説明していない。日本の本当の歴史はどこかに残っていないのかと考えていた。
まず、「竹内文書」という本を読んだ。これは結構信じていたが、どうやら「上記」(うえつふみ)の文字を真似て作った偽もの。
もちろん、「上記」も偽。
他にも、
「竹内文書」
「宮下文書」
「九鬼(くかみ)文書」
「上記(うえつふみ)」
「カタカナム」
「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」
などがある。中には正しい記述もあるらしいが・・・「正しい」って何を基準に言われても困る。
また、神代文字(漢字伝来以前の文字)には
日文文字(アヒル文字)
出雲文字
阿波文字
斎部文字
古碑文字
天種子文字
守恒文字
対馬文字などがある。
これが、どうもうさんくさい。
そんなこんなで、日本の正史はもう焚書にあって残っていないのだろう・・・とがっくりしていた。
−突如現れたホツマツタヱ−
そこへ現れたのが、「ほつまつたゑ」である。(「ミカサフミ」も同列の文書である)
最初の出会いは、偶然図書館で手に取った本である。
その本には「秀真伝」と漢字で書かれていた。「ほつま」とは「まことの中のまこと」という意味になる。
(ほつまつたゑの文字は、ヲシテ文字という。母音は5元素からなり、48音である。)
すべて五七の形式で書かれていて、ほつまつたゑの原本を読み解くのは難しい。国語の古語の先生ならなんとか意味がわかるのかもしれないが、私にはほとんどわからなかった。
そこで、解説がされている本を読んだ。
これまた、本当の意味を理解するのは難しい。漢字文化1500年という年月は相当な壁である。
−本当にホントなのか−
最初に読んだ本は、
「秀真伝」が明かす超古代の秘密(記紀では解けない日本神話の真相) 著者:鳥居 礼
まぁ、なんとも怪しい題名である。そして書いてあることも現在の教育を受けてきた人なら、またもや怪しいと思うだろう。
第三者にあやしさを与えずに、この事実を話すには原本を示す必要がある。それに私自身納得したい。
そこで、
・ほつまつたゑ 上・下巻 著書:鏑 邦男
・『ホツマツタヱ』を読み解く(日本の古代文字が語る縄文時代) 著者:池田満
さらに、古事記、日本書紀、ホツマツタヱの三書が比較されている本を拝見した。
著者は、池田満氏である。
これには、びっくりである。相当な時間と労力が必要であっただろう。
そして、ホツマツタヱが少なくとも日本書紀のおおもとになった事がはっきりした。
日本語はその言葉の「音」に、意味がある。漢字がいかにその音をないがしろにしたか、とても悲しい。
−紹介−
以下、池田満著 ホツマ辞典による。
香取神社の主祭神は、フツヌシである。
「フツヌシ=ヲバシリ」であると思われるので、この説で話をすすめる。
ヲバシリは、タマキネ(トヨウケ、アサヒカミ)の孫である。
タマキネ(トヨウケ、アサヒカミ)はイサナミの父である。
ヲバシリは馬術を父に教わり、アマテルカミにムマヤヲサメ(馬軍司)として仕えて
いた。
アマテルカミの時代、各地で反乱が起こった。(ハタレの乱という)
これを討伐するため、第一の臣にカナサキ(住吉)
第二の臣にフツヌシを任じた。
この時、アマノカコユミ、ハハヤ或いはツルギもアマテルカミから賜った。
フツヌシが撃ち破ったのはイソラミチである。
イソラミチはネノクニ(北陸道に相当)のタテヤマから起こった反乱軍である。
アノ(三重県安濃郡?)まで攻め寄せた反乱軍に対して、フツヌシはアマテルカミか
ら教わった、オコゼ(魚)とフキ(蕗)を用いて平定した。
ハタレの乱が一段落した時、フツヌシはタマカエシの祭りを、ツハモノヌシとココト
ムスビ(カスガトノ)親子、自分の子のタケミカツチと行う。
乱でなくなった人々の迷えるタマ(魂)をアモト(宇宙の中心)へ帰す祭りが、タマ
カエシである。
フツヌシにはカトリカミの称号が、アマテルマミから授与される。
カトリカミとは、カグヤマ(富士山)を司るカミの意味である。
熱海市の伊豆山神社はフツヌシつまりヲバシリを祭っていると考えられる。
古代には、このあたりをヲハシリノサカと呼んだろう。
フツヌシ・ヲバシリの関連性は、漢字文献、ヲシテ文献にも明瞭に書かれていない。
おそらく、当時常識なことで詳しく書かれていないほど偉人なのだろう。
その後、フツヌシはオオナムチの処分執行に遣わされる。
オオナムチはイツモ(出雲)のクニカミ(国司)であり、アマテルカミの甥であり、
アマテルカミの右の臣でもあった。
しかし、朝廷を尊ぶこともなく、我が道を行く行為に許されざる事々が重なってい
た。
そのため、右の臣の解任、つまりカシマタチの軍勢が遣わされた。
カシマタチとは、カ=右、シマ=締り=臣、タチ=解任
しかしオオナムチの館に赴いた時には、どう平定するかより、平定後どうするかとい
う話になっていた。
フツヌシは馬術の達人であり、タマキネ(トヨケカミ)の孫という影響は大きいのだ
ろう。
その後フツヌシは、アマテルカミの後任のオシホミミを長期に補佐する。
オシホミミが近江のタガから、東北のタカノコフ(宮城県多賀城市)へと遷都した後
も、フツヌシは左の臣として仕え続ける。
フツヌシが蓄えたフミ(文書)などは、アマノコヤネ(カスガマロ)に譲られる。
カトリカミのカトリは、後にカハリ(姓)となり、フツヌシの子孫はカトリを名乗
る。ヤマトタケ東征の時に、カトリトキヒコという人物が出典している。
鹿島神宮の主祭神は、タケミカツチである。
タケミカツチは、オオナムチの慢心を糾(ただ)すカシマタチ(右の臣解任使)の副
長官として働いた。
この功績に対し、オシホミミからカシマカミの称号を授与された。
これにより、カシマカミ、カシマキミと尊称される。
もちろん、鹿島神宮の名前もこの称号に由来する。
その後、オシホミミに右の臣として仕える。
鹿島神宮には要石(かなめいし)が伝えられていて、「春日山紀」第1巻21枚目の
「ミカサフミ」残簡文と一致する。
また、高天原という遺跡も残されていて、これもホツマツタヱの16アヤ86に出典
している。
さらに、常陸国に呼び名となった常陸帯(ひたちおび)も宝物として保存されてい
て、常陸帯の祭典が毎年1月14日に行われていたことも16アヤ61〜89に一致
する。
追加更新。2005/2/11
2004年の最後の日、鹿島神宮に行った。大雨だった。
そこで、目にしたのは・・・「鹿嶋立ち」の文字だった。
意味として、敵に立ち向かう勇敢な立ち姿の事を述べていた。
カシマタチという言葉がまさか案内文に書いてあるとは夢にも思わなかった。この言葉が存在していた驚きと同時に、間違った説明がされているとことに落胆した。
カシマタチ(右の臣解任使)の意味であること・・・今さら本当は・・・です。なぁんて信じるかねぇ。
カシマの漢字について議論もあるようですが、(鹿嶋と鹿島)どうでもよいことです。
闘いに挑むときは、カシマカミとカトリカミのお守りを持っていたいですね。