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“やまもも”言いたい放題
新入局員勧誘会後の無力感
第二内科 浅羽 宏一
(9期卒)
最近、新入局員勧誘の飲み会があった。世の大学生は就職難のご時世だが、高知医科大学では、「うちに来て下さい。」とどの医局も不況知らずで人手不足である。この時期、入局説明会後の飲み会で、6年生を勧誘するのが憂鬱である。来たい者は来ればいいという様な旧帝大系医局であれば何の苦労もないが、我々は勧誘会では営業マンに変身しなければならない。営業はつらい。なぜなら卒業生約100人中30人程度しか残らず、他大学からも研修医が来ない。そんな中、17診療科が凌ぎを削り営業合戦を繰り広げている。勧誘会の後には、「なんで母校に残らんのかなあ?ぼくらの教え方が悪かったんかなあ?高知の人はなんで帰ってこないの?」などとこんな愚痴ともぼやきとも取れる思いが頭に宿り、やり場のない怒りと無力感に襲われる。そして、昨年からはこの厳しい状況に更に追い打ちをかけるかの様に、学生に非常に不人気のスーパーローテーションが卒後教育に取り入れられた。この為、昨年から勧誘会での学生の反応が良くない。これが怒りと無力感を増大させる原因となった。何故スーパーローテーションなんだ?このシステムでいい臨床医を作れるのか?実績はあるのか?もし失敗すれば誰が責任を取るんだ?などと答えられない質問が営業マンに浴びせられる。末端の営業マンには厚生省の考えていることは分からない。どれくらいの人達がこのシステムに賛成しているのだろう。研修医のためのシステムだから研修医の意見は反映されているのだろうか。分かっていることは、もし結果が悪くても大学も文部省も厚生省も誰も責任を取らないだろうということだけだ。なぜなら今の日本は大企業の経営者、官僚、学長、偉いと思われている責任のある人達は誰も責任を取らないから。こんな事を考えながら目の前の6年生を勧誘している。学生を母校に残らせる魅力が大学には必要だ。何がある?どうすればいい?自分の能力以上のことを考えると頭が痛くなってそしてまた無力感が襲ってくる。ああ、来年は営業から外してくれないかなあ。
とは言っても、現場では教授を中心に研修医に良い研修の場を提供するべく頭を痛めている。しかし大学病院だけでは十分な研修は無理だと思う。大学病院は特定医療機関である。難病、奇病の患者さんの治療を受け持つのが社会的役割だ。そのため一般的な病気の患者さんの入院は少なく、研修医の初期研修としての広く浅く学べる環境とは言いがたい。難病を研究し治療する研究機関、特定医療機関としての大学病院と学生、研修医の教育の場としての大学病院は決して両立しないと思う。どうせ制度を変えるのならインターンの先祖帰りのようなスーパーローテーションではなくて今の現状にあった制度にすればいいのにと思う。
かなり暴論と思うが私の意見を書いてみたい。私はスーパーローテーションには反対だ。半年程度ずつ各科を回ったところで何が見に付くだろうか。責任のない状態で医療は任せられないし、真面目に患者を見ないのではないか。スーパーローテーションをするならポリクリをもっと充実させればいいのにと思う。お上はどの様な医療制度を作り、どんな医者を作ろうとしているのか。現住所あの医局講座制はドイツの真似であるので、アメリカの真似をするなら全部変えなければだめだ。患者が専門医志向であるのにこれからの医者を一般医にするのはどうか。眼科を志望している若い医者はお産も出来、乳児も診れて、麻酔をかけれる必要があるのだろうか。マイナー系の先生が風邪が診れない様な現状ではだめだ。だからマイナー系の医者もお産が出来るレベルにするためにお上はスーパーローテーション制にするのだろうか。例えば一 人の老人は整形外科で腰痛を診てもらい、循環器科で高血圧の薬を貰い、脳外科で脳梗塞の検査をし、眼科で白内障の目薬を貰い、年に一度の無料検診で糖尿病が疑われたら2内科を受診する。受診した次の日に鯖を食べて蕁麻疹がでたら皮膚科にかかる。この様に、複数の受診科をまたがっている人は多い。これでは医療費が掛かり過ぎるから一人の医者(家庭医)に診てもらってくれ、というのであれば、麻酔科、産婦人科、小児科はローテーションの必須にいれる必要はない。狭い日本、地域に各専門医を複数配置すれば、夜間に子供が熱を出して病院へ行ったが、整形外科の医者が当直で診て貰えなかったと言う様な苦情はなくなると思う。昭和初期までのように一人の医者が何でも診れたという時代ではない。専門以外の患者を診るのは無責任だ。これからはチーム医療であるから各科が上手く連携すればいい。昔から一芸に通じる者は諸芸に通ず、と言われる。研修医はまず一つの科をしっかり勉強し、その後に他の科を勉強すればいい。必要なのは卒後直ぐのローテーションではなく、人の交流を良くし、学閥をなくし、何時でも誰でも(50歳の医者でも)必要なときに必要なだけ学べるシステムではないか。そうすれば50歳を過ぎて内科をやめても、皮膚科を学び直して皮膚科医として働けるし、卒業生が人生最大の決断として、清水の舞台から飛び降りる決意である科に入局しなくてもすむではないか。
(次は高知医大 皮膚科 中島英貴先生にお願いします。)
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卒業生からの新任教授 就任にあたって
ご意見募集
第2生理学教授 佐藤 隆幸
(2期卒)
このたび、入交昭彦先生の後任として、第2生理学教室を担当することになりました。同窓生の先生方には、今後ともなお一層のご支援をお願い申し上げます。
数年前より、「大学改革」、「大学の生き残り競争」の文字がマスコミに頻出するようになりましたが、その頃よりわたしは、この同窓会報「やまもも」をしっかりと読むようになりました。前任地の国立循環器病センターにおける同僚は、旭川医大、香川医大、島根医大出身でありましたので、けっこう同窓会報にかかれていることから大学の状況を互いに紹介しあうことが多く、「やまもも」は重要な情報源になりました。
着任して2ヶ月、はたして、これから先、自分が母校で、わたしの目標である「循環器臨床に役立つ概念と方法論の確立」と「仲間作りと若い人材の育成」をどこまでなし得るのか、不安感が増大しつつある今日この頃です。特に、教育改革についての学内の動きが理解できず右往左往しています。やたらと新カリキュラムを組み−例えば、立派な人格形成をめざした・・・講座のようなもの(都合により、あまり具体的に列挙することができません)−「優秀な医師を養成しよう」としていますが、わたしだけでなく、おそらく多くの学生、教官が消化不良をおこしそうになっているのではないでしょうか。もし、高知医大における教育に改善すべきところがあるとしたらそれは何でしょうか。そこで、昨年、わたしが、高知医大学第1生理年報に投稿した文章をここに一部再掲し、同窓生のみなさんにわたしの信念を紹介させていただき、ぜひ、tacsato@kochi-ms.ac.jpまでご意見をいただきたく思います。
「濃い人間関係」
わたしは、現在38才の循環生理学研究者ということになる。現在の基礎は、大学時代の第1生理学教室における日々が培ったものだと最近痛感している。動物実験をしたり、セミナーに参加したり、コンパで酒を飲んだり、教室で松翁を呑んだり、斉藤先生宅でビールを摂取したり、瀬戸先生宅でチャンポンになったりとじつに充実していた。ところが、このような濃い人間関係は、この時代以降のわたしには形成されなかった。
38才のわたしも若干の指導すべき若い研究者をかかえるようになった。このような立場になったとき、あの教室のあの濃い人間関係は何だったのだろうかと思う。良い人間関係だったのか?。個人主義者には、とうてい不必要な人間関係であったに違いない。しかし、自分自身が指導者となりつつあるとき、対人関係や教室形成における指導者の人格の重要性を感じる。現在の所属教室の部長である砂川先生(若いときJohns Hopkins大学で留学生活を送る)は、「故佐川喜一先生(元Johns Hopkins大学教授、Authur C Guytonの後継者として循環生理学を発展させた日本人)は・・・だった。」とよく話す。さらに、「佐川先生が、『Guytonは・・・だった。』というようなことをしばしば言っていた。」と続ける。ことあるごとにこのフレーズを聞くとき、砂川先生と佐川先生はきっと濃い人間関係だったのだろうと思う。事実いまだに砂川先生は佐川夫人とも親しく、Johns Hopkinsに出張したとき佐川宅で飲酒して、宿泊してくる。さらにこのような濃い人間関係は佐川先生とGuytonの間にも形成されていたに違いない。
濃い人間関係は、おそらく、しかるべき出会いがあったときにどっか心の奥深いところに刷り込まれるのだろう。それは、わたしの場合、大学3年の春にやってきた。頬のこけた椛先生(現第1生理学教授)、早口の大塚先生(現女子医大内科教授)、講義に二日酔いでやってくる斉藤先生(故人)、雪駄履き・風呂敷につつんだ講義資料・腰に手ぬぐい姿でやってくる瀬戸先生(初代第1生理学教授)。鮮明に刷り込まれた当時をふりかえるとき、いまのわたしと若い研究者との人間関係はどうだろうかと自省する。
以上抜粋
自分の周りに心から尊敬できる人がいる、そんな体験がきっと人格形成に必要かつ十分なことではないでしょうか。わたしは、結局のところ、大学6年間の中で、一人でも尊敬できる教官に学生が出会えたなら、それでいいのではないか、と感じています。もし高知医大の教育に問題があるとするなら・・・。まず、改革すべきは、教官のほうかもしれません。
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総会開催報告
第4回同窓会総会・講演会・懇親会開催
平成12年8月12日(土)、高知新阪急ホテルにて第4回同窓会総会・講演会及び懇親会が開催された。出席者36名、委任状319名。
講演会では高知赤十字病院救急救命センター部長 西山謹吾先生(写真)により“脳死について”と題して約1時間にわたり医学的脳死・脳死報道等についての講演がされた。
総会では平成11年度事業報告、平成12年度予算として同窓会ホームページ作成を柱とする事業計画と予算案が可決され、平成11年度会計報告が承認された。その後の懇親会では盛会に会が催された。
同窓会総会議事録
1.
事業報告
平成12年1月 会報10号発行
3月 第17期生卒業式にて記念品(ネクタイピン)贈呈
退官された松田崇教授(物理学)、入交昭教授(第二生理学)、
森惟明教授(脳神経外科学)に記念品(財布)贈呈
4月 倉繁隆信教授(小児科学)葬儀参列
6月 会報第11号発行
2.
事業計画
平成12年10月 会報第12号発行
平成13年 1月 会報第13号発行
3月 第18期生卒業式出席
4月 会報第14号発行
7月 会報第15号発行
3.
平成11年度会計報告(次頁)
4. 平成12年度予算案
【収入の部】
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項 目 |
金 額 |
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会費 広告掲載料 |
3,000,000 400,000 |
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計 |
3,400,000 |
【支出の部】
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項 目 |
金 額 |
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印刷代(会報12号〜15号) 通信費 ホームページ作成費 人件費 事務用品(プリンター購入等) 電話代 予備費 |
700,000 800,000 150,000 250,000 100,000 50,000 100,000 |
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計 |
2,150,000 |
平成11年度会計報告(平成11年8月〜平成12年7月)
【収入の部】
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項 目 |
金 額 |
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会費収入 広告掲載料 名簿販売収入 平成10年度総会・懇親会参加費 平成9年度総会・懇親会参加費残金 利息 |
3,260,000 140,000 84,000 200,000 64,330 5,810 |
|
計 平成10年度からの繰越金 |
3,754,140 10,256,173 |
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合計 |
14,010,313 |
【支出の部】
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項 目 |
金 額 |
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印刷代(会報10号・11号) 通信費 人件費 事務用品 電話代 記念品代 慶弔費 平成11年度総会・懇親会会場費 |
336,420 381,840 234,400 48,101 31,181 63,000 10,000 334,857 |
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計 |
1,439,799 |
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平成12年度への繰越金 |
12,570,514 |
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【特 集】
“やまもも”【特集】にあたって
高知医大同窓会会長 廣瀬 大祐
前号11号は“卒後教育スーパーローテーション”と題して高知医大を中心とした特集を組んでみましたが、今回は“続・卒後教育スーパーローテーション”と題して高知医大を卒業して他大学、施設で卒後研修を受けられた先生方からのご意見、また今年度から始まった高知医大の新しい卒後研修の実際を実際のコーディネートをされている総合診療部の立場から原稿をいただきました。また、もう一つの特集として“高知県の医療情勢−高知医大の役割−”ということで特集を組もうとしましたが私の努力不足でくぼかわ病院の川村明廣院長先生からしか原稿をいただけず“やまもも12号”の発刊となってしまいました。この場を借りて大変忙しい仕事の合間を縫って原稿をいただいた川村院長にお礼を述べたいと思います。
さて、今後の特集として引き続き、卒後教育として新しい卒後研修1年が終わろう高知医大の現状や他大学・施設での研修の情報などを掲載するとともに、高知医大を取り巻く医療環境を高知県という地域の立場から、救急、専門分野、関連病院、他の公立中核病院との連携など高知医大の内外の視点で特集を組んでいきたいと考えています。
高知医大同窓生の関心は“高知医大はなくなるの?”という点ではないかと思いますが、その答えを出すためにはこの20数年高知医大は高知県の医療にどのような影響を与えてきたのか、今度どのようなことをしなければいけないのか考えなければなりません。また研究・教育機関としての大学、臨床・研究の場である病院それぞれにわけて考えなければならない問題です。今後色々な先生方に原稿をお願いするとは思います。また今後高知医大が発展するために色々な意見があると思います。
今後この“やまもも”でたくさんの建設的意見がとびかうことをお願いします。
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【特集】高知県の医療情勢−高知医大の役割−
高知県中山間部での医療情勢の現状と問題点・
高知医大の役割
くぼかわ病院理事長 川村 明廣
中山間地域の医療の現状と問題点、そして高知医大の役割ということですが、この13年間実地医療を通じ率直に感じたことを述べたいと思います。
あまり以前のことは良くわかりませんが、端的に申せば、高知医大が出来てからは高知県の医療、特に郡部(中山間地域)の医療事情は大きく様変わりしたのではないでしょうか。
思い起こせば約20年前の昭和55年頃、高知医大が創設して間もない頃ですが、私が高知市内の救急病院で勤務していた時、夜間になると窪川町やその周辺の地域から数時間かけて子供の発熱のみでもよく来院していたものでした。当時、その地域には24時間体制のとれる救急施設もなく、親としては不安で、はるばる高知まで足を運ばざるをえなかったのでしょう。そのとき郡部の救急体制の不備をつくづく感じたものでした。やがて高知医大も卒業生が出てくる時期になると各教室のスタッフも徐々に充実され、私も含め、高知医大で勤務していた幾人かの医師が次々と高知県下の各拠点となる地域で高知医大の支援をうけ、救急体制のとれる病院を開設したり、また既存の病院にも各地域の拠点病院には高知医大の各教室から専門医が派遣され、高知市内まで足を運ばなくてもその地域での対応が可能となったわけです。
当院が位置する地域は、窪川町を中心として6ヵ町村、約3万弱が対象人口となっています。他の中山間地域も同様でしょうが、この地域は高知県下でも有数の高齢者地域であり、65歳以上の老人が占める割合は実に30%近くに達しています。人口減少率は高知県全体の平均の約6倍にも達し、窪川町市街地は別として、周辺の山間部集落の過疎化は人口自然減も含め歯止めが効かない状態となっています。そのため、診療所における経営悪化や診療所の閉鎖なども起こってきました。そうした場合、山間部へ行けば行く程、特に、自分で車の運転が出来ない高齢者は、公共交通機関の不備も重なり、日常的な健康管理や早期発見、早期治療が等閑となってきます。また、この地域における老人世帯数の23%を占める独居老人にとっては事は更に深刻です。そうした場合、医療機関として訪問診療や訪問看護で対処しなければならないわけですが、都市部と異なり訪問先同志の距離が大きく離れていること叉、訪問看護に至っては今回の介護保険導入による自己負担増があって自ずと限界があります。つい先日のことですが、当院併設の老人保健施設に週一度通所中の独居老人宅にスタッフが迎えに行ったところ、すでに死亡しており体中にウジが涌いていたという事例がありました。このような場合、一医療機関だけではどうしょうもなく地域住民や行政とのネットワーク作りが大事であることを感じさせられた事例でもありました。
先にも述べましたが中山間地域の過疎化に伴う不採算運行を原因とする公共交通機関の不備は高齢者の通院患者にとって大きな問題であります。窪川町では当院も含め4つの医療機関から患者送迎用の車を走らせていますが、通院患者さんからは大変喜ばれています。このことの是非につき医師会で時々議論となるところですが、この地域の実情を考えれば他の手段がなされない以上、続けなければならないと考えています。
叉、窪川町では、この5年間の間に2つの病院が診療所に転換しました。これは最近の病院経営の厳しさ、その中でも特に有資格医療従事者の確保が大変困難であることが大きな要因であろうと思われます。若い人たちの田舎離れは医療従事者にとっても同じです。当院も最近では看護学校や県内外のリハビリ等の専門学校の実習指定病院となりやっと何とか充足してきましたが当初は人材確保に翻弄されたものでした。子弟の教育の問題等、色んな事情において、中山間地域においての有資格者の確保の困難さが現実下にあります。今後、郡部であっても働きたいと思われる病院作り、叉この地域出身者の地域医療への情熱を注ぐ人材育成に更に力を入れていかなければならないことが課題と考えております。
現在、当院では高知医大、岡山大学の各教室より医師の派遣を頂いていますが、派遣医の多くが大規模病院と違って家族的で、自分の専門外の知識や技術が学べる、叉都市部と違った患者さんとの良い意味での人間関係が持てると言ってくれます。このことは中山間地域ならではの良さかも知れません。
いずれにしろ、当院では手におえない場合後方支援として高知医大が存在することは、当院にとっても、地域住民にとっても大きな心の支えであり、今後とも、安定的な医師の供給なくして当院はもとより、この地域に医療は成り立っていかないことを記して稿を終わりたいと思います。
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【特集】続・卒後教育スーパーローテーション
卒後研修における総合診療部の役割
総合診療部教授
高知医科大学医学部附属病院の研修医は平成12年度から、@3ヶ月毎のローテート研修を行う、A(いずれの科のローテート中も)卒後臨床研修共通プログラムを履修することになりました。卒後臨床研修必修化の流れの先取りという側面を否定はしませんが、「社会の求める良医を育てよう」、そして臨床医になる研修医には「プライマリケアのできる医師になる研修システムを提供しよう」とする、高知医科大学の決意の現れです。総合診療部は事務の方々のご協力をいただいて、全ての臨床科、病院部局、多くの基礎系教室、名誉教授、医学図書館などのコーディネートをしています。
卒後研修共通プログラムは、ミニレクチャー、講義「医療と人間」、ACLSコース、OSCEからなっています。表1はミニレクチャーと称する、実習や講義からなるコースの一部です。今年度は毎週水曜日午後3時から5時までの2時間、1年計画で行われています。実際に手を動かして見なければ分からない項目(☆印)は、講義が行われた翌週、8名くらいの小グループに分かれて実習を行います。このために男性骨盤モデル、女性骨盤モデル、膝関節モデル、胃内視鏡練習モデル(胃チューブ挿入練習用)などの教育器材を取り揃えています。
このような試みは誰かが管理していないといつの間にやら消滅してしまうのが世の常です。総合診療部はコーディネートするとともに、毎週出席して事務の方と一緒に出席をとり、そしてビデオ録画を行っています。このため「ハイエナみたいだ」と言われます。ビデオは来年度以降への資料、あるいは将来高知医科大学の卒後研修共通プログラムとして一冊の本にする材料にしたいと考えてのことです。名誉教授にお願いする医療と人間の講義でも同様です。
ACLSという名称はお聞きになったことがありますか?Advanced Cardiac
Life Supportの略です。ACLSコースは1グループ8名で4グループに分かれて、1グループ8〜9時間で行われました。救急蘇生の初歩はBLS(Basic
Life Support)です。ACLSコースを始めてみますと、実際にはBLSもできない研修医が一杯です。彼らをBLSができて、今日ではどうしてボスミン心腔内注射をしないのか、標準の心肺蘇生とは何かを知り、実際にできるようにしていきます。ここでも気管内挿管モデルとともに、500種類の不整脈が出せるコンピューター付きのトレーナー(人形)が活躍しました。「先生、急変です」の連絡に臆せず対応できる医師が目標です。トレーナーは時に池田さん、相良さん、小越さんなどと呼ばれますが、所属する教室長の名前で呼ばれる時が一番激しく叩かれるようです。
卒後臨床研修は講義して、実習させて、でも「やりっぱなし」でいいのかという問題もあります。それでは教育病院としての使命は果たせないのではないでしょうか。そこで1年間の研修終了時には、OSCE(オスキー:客観的臨床能力試験、Objective Structured Clinical
Examination)で能力を評価し、研修医にフィードバックした上で修了証書を発行する予定です。OSCEは数年のうちには医師国家試験に導入され
表1. ミニレクチャーの内容(一部)
☆Blood
Accessの基本
☆処方箋の書き方
☆心電図の取り方
☆導尿・バルーンカテーテル管理
☆直腸泌尿器科診察法
☆婦人科診察法
☆胃ゾンデと酸素投与法
☆耳鏡・眼底鏡など
ショックの見方・ポイント
CT/MRI造影検査の適応
看護婦指示書の書き方
病理検体の取扱い
死亡診断書の書き方
針刺し事故への対応
各科の代表的な病理像
輸液の使い方
一般科を受診する精神疾患
耳鼻科救急疾患
抗生物質の使い方の基本 など
る可能性もあります。
表1の中には、本来オリエンテーションで済ませておくべき性格の項目が含まれていることにお気づきでしょうか。これまでの附属病院オリエンテーションは心構えを説く、「眠い眠い」3日間でした。そこで従来のオリエンテーションとドッキングさせた、研修病院にふさわしい平成13年度のオリエンテーションと年間スケジュールを計画中です。
逆の見方をすると卒業時にできるようになっていなければならない事項が沢山入っているとも言えます。一般の方からすれば、「処方箋がかけないお医者さん」なんていないはず、「マスクを上下逆に持つお医者さんの存在」なんて信じられないと思います。これは高知医科大学の卒前教育の問題というより、「知識のシャワーは浴びせるが、実践できるようにしようとはしない」日本の医学教育の問題点でしょう。卒後教育は卒前教育と不可分で、いずれは一体として考えていかなければならないとも考えています。そして卒前・卒直後に限定せず、将来的には諸先輩方のリカレント学習にも役立てるプログラムを作成し、そしてそれをバックアップするすることが大学の使命ではないでしょうか。総合診療部は卒後研修における自分たちの、大学の使命を大きく変えてみたいと考えています。
(総合診療部で保管させていただいている教育器材は、研修医の教育プログラムに差し支えのない限り、同窓会員の先生方にお貸しできます。お問い合わせ下さい。)
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【特集】続・卒後教育スーパーローテーション
卒後研修を経験して
癌研究会附属病院眼科 辻 英貴
(9期卒)
同窓会長の廣瀬先生から原稿依頼をいただきましたので、高知医大のご発展に少しでもお役に立てられる部分があればと思い、以下のように自分の思うままではありますが、書かせて頂くことにしました。
私は9期生で、1992年に卒業しました。学生時代はサッカー部に所属し、まともに勉強するのは試験直前のみ(試験前にコピーさせてくれたみんな、ありがとう)、休みの度に海外に貧乏旅行ばかりしているという最低の学生でした。今でも年に一度位ですが高知に帰ると、これは習性でしょうか、まずグランドに真っ先に足を運びます。
卒業後は東京大学の眼科学教室に入局しました。学生時代は上述の通り、遊び中心で勉強はしないと決めていましたので、社会人になったらがんばらないといけないと思いました。東大の眼科にしたのは、検査・診断・治療という内科的側面と、手術という外科的側面の両方を持っていて魅力的だったのと、東京ではいろいろな症例を目にするチャンスがあるのではと思ったのが理由です。しかし実際は、夜中に帰り本を開いても数分で寝てしまうという、またまた最低の状態でした。知力はともかく体力にはまだ自信がある方でしたが、今度は勉強したくてもできないという日々が続きました。しかし日・祭は病棟、バイトだけになるので、その合間を利用して何とかその週の復習をするというなさけない日々でした。しかし忙しいということは症例を多く見られる、先輩医師のやり方を観察できる機会が持てるわけですので、ものは考えようです。
さてなぜ当時あんなに忙しかったのかと考えますと、自分の能力もあるでしょうが、システムの問題も多少あったかと思います。どこの教室でもそうでしょうが、検査員などスタッフの不足のため、例えば視野が必要な場合も外来を一時ストップさせ、視野を測りに行く必要がありました。また病棟と外来が同じ担当医という制度のため、緊急入院などがあると外来は一時ストップしてしまいます。しかしこれも一長一短であり、病棟と外来が同じ担当医であると患者さんが安心され、こちらも患者さんのことを一貫して診ていくことができます。初診から入院・手術・退院、その後の外来と、患者さんとはいつも一緒ですから、信頼関係もでき、またうっかりミスなども少なくなるでしょう。
また今にしてみますと、眼科とはいえ当時あれだけ忙しい思いをしたのだという自信?ができたというのも大きいと考えていますそういう激しい時期がないと、他科に較べて眼科は楽だというコンプレックス?
を自分でも持ちかねないからです。医師になって最初の1-2年は、その後の医師としての基本姿勢をつくる最も大切な時期ですので、この時期に楽をしてしまうとその後に大きく影響してくるのではないでしょうか。また研修後は時間が持てることを喜び、有効に使おうと考えられるようになれました。ちなみに現在は私が研修した時に比べ、システムはよりしっかりしたものになっています。
スーパーローテートを施行する際に、ローテーターも教える方も気をつけなくてはいけないことの1つは、どの科も中途半端にならないようにすることでしょう。どの科でも恒常的にスタッフが足りないでしょうから、少しでも手伝ってもらえるようにと、例えば点滴など雑用のみしかやらせなかったり、逆に早くからいろいろなことをやらせ過ぎて患者さんに迷惑をかけてもいけないと思います。その科に来ようと思っている人と、スーパーローテートだから来る人とを、それぞれどのように扱うかも含めて、きちんとしたプラニングをする必
要があると思います。
同期の友人からまた様々な人から、様々な研修の話を聞きます。いろいろな研修の方法があり、様々なんだなあと思います。専門に決める科の研修先は、各大学、研修施設のシステムやプランを吟味し、その内容を見て、また実際のお話を充分にお聞きしてから決定するべきです。そしていったん入ったからには、最も重要なのは、学ぼうとする本人のやる気ではないでしょうか。それさえあればスーパーローテートの経験を生かして、我々の時よりもよい専門研修を行い得ると思います。
以上、とりとめのない話になってしまいましたが、これから研修される方は十分な情報を集め、いったん入ったらどこであれ一生懸命がんばりましょう。先日インドからうちの病院に研修に来られた医師のお話をお聞きすると、確かに日本ではできてもインドでは無理だろうなあと思われることはいくつかありました。しかし東京・大阪などではできるが地方ではできないということは(またその逆も)今の日本ではそんなにはないはずです。初期にがんばったその経験はいづれ血となり肉となるでしょう。教育をする方も、いいプラニングと情熱を持って取り組んでいけば、将来におけるたくましい人材の確保につながっていくのではないでしょうか。
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【特集】続・卒後教育スーパーローテーション
母校以外での卒後研修 〜東京警察病院の場合〜
東京警察病院整形外科 古澤 達也
(7期卒)
秋も深まり、気の早い人には来年の足音が聞こえているようです。6年生は進路を決定する時期に、5年生は進路を考える時期になっています。最終的には「自分の人生は自分で決める」ものですが、悔いのない決断のためには情報は多いほうが良いと思うので、ここでは、「ひとり言」的にアドバイスと私見を述べさせていただきます。
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2000年9月某日 東京銀座、クラシックピアノを聞きながら、二人の女性と食事をした。妖艶な瞳をしたどこか陰のある細身の美人、そして明るく健康的な雰囲気をかもし出すこれまた美人、ともに独身のせいか11年前の卒業式のときとほとんど変わってないようだった(暗かったからか?)。細身の美人は出身地の大学に戻り、皮膚科で研修を積み、現在は助手として手腕を奮い、健康美人は、精神科医として東京の研修病院で研鑚を重ね、現在は近郊都市で勤務医をやっているという。卒業後の仕事や私生活、そして「今の自分」について話し合った。目的のひとつは卒後研修についての取材であったが、彼女らとの話の結論は、各々の大学・病院・科で研修システムがまったく違うし、その状況にどう対応・対処していくかは個人次第なので、一般論としては語れないということだった。しかし、これでは話が終わってしまうので、以下、「ひとり言」をはじめる。
研修病院の選び方
「就職に関して自分は何を知りたい? 情報の入手法は? その情報をどう解釈するか?そして決断。」であるが、まずは目的が何かを自分自身で再確認して欲しい。
情報入手:研修病院募集要項なるものがある。学生課のお兄さんたちが親切におしえてく
れる。もし卒業生がいれば、遠慮せずに問い合わせてみると良い。連絡方法は自分で考えるべし。それを面倒だと思うならやめたほうがまし。
「募集要項の各項目をどのようにみればよいか?」
地理的条件:母校を出る理由は、様々であるし、最初の決断でもある。必ず自分の意志で
決めること。それぞれの目的に応じて、自分で決める。私は、人口の多い都会の
ほうがいろいろな経験ができるのではないか思い東京にした。他にも人にはいえ
ないことがあるが・・・。
研修内容:まずは募集要綱で確認。病院によってシステムが違うので実際に聞くほうが良いだろう。これも卒業生がいれば、裏事情をききだすべし。
関連大学:特別な目的(そこの大学院に行きたいとか)がなければ、あまり関係ないように思うが、そこはやはり人の付き合いの輪というものがあるので、少しだけ考慮にいれてもよいかも。
関連病院:これは重要で、「他の病院での研修があるのか。また、そこにはどのような特徴があり、基幹となる病院との違いは何なのか。」を聞いたほうが良い。ひとつの病院での研修は学問的にも、実戦経験的にも偏りが出てくるのでマイナスが多いように思える。
医者の数:重要。多いほうが、たくさんの知識が得られる。例えば、ひとつの症例に対しても、治療法はひとつではなく、さまざまな意見から取捨選択できたほうが良い。また、学ぶ側にも選ぶ権利があるとすれば、人数が少ないところで「教える気のない上司」にあたったときは余計な苦労をしなくてはならないだろう(これは聞いた話からの想像で、幸い私には、そういう経験はないのだが)。つまり、選択肢は多いほうがいいということ。
病床数:重要。臨床経験の数に直結する。
研究施設:臨床研究が中心なので、基礎研究は大学で。
給 料:ひとことでいえば、「食うには困らない。」。まあ、医者をやっても大金持ちにはなれないし、大金持ちになりたいなら、実業家を目指したほうが良い。個人的には、お金だけが目的の人には医者という職業は向いていないと思う。
将来的な就職先への不安:「研修期間終了後に、その研修病院に残れるのか?放りだされるのではないか?」気になるところだろう。これは、どこにいても、どんな仕事をしていても同じだが、わからない。しかし、ちゃんとやっていれば大丈夫。ちなみに、警察病院整形外科ではレジデント(研修医)でくびになった人はかつて一人だけだそうだ。どんな人だったのだろう。
おすすめ:休みを利用して、3〜4日間の見学実習にいってみて、そこのボスの考え方を聞いたり、医局の雰囲気とかを感じてみたりすると良い。1日だけの見学ではなかなかわかりませんよ。
“私の研修医時代”
東京警察病院整形外科(本院)について
臨床研修指定病院:450床 うち整形外科 60床
以前は東大出身の部長、現在は筑波大出身の部長以下、医局員数:24人(本院13人、主な関連病院に6人と5人)で構成される。医局員の出身大学は、筑波大、新潟大、高知医大、山形大、佐賀医大、東京医大、秋田大などなど。
1年生 ジュニアレジデント (研修医のこと)
社会人・医師としての心得、臨床の基礎知識を学び、麻酔科研修4ヶ月をこなす。
当時の部長の「うちはやらせる主義だから。」というひとことで入局を決めた私は、まず、社会人としての常識から学んだ。学生時代が如何に無責任で、気楽なものであったかを痛感した。体力的にもハードで、通勤電車の中ではいつも立ったまま眠っていた。そして、労働基準法や基本的人権というものは存在しないと自覚した。この時期は、人間でいうなら赤ちゃんなので初期教育つまり躾をちゃんと受けたほうが良い。実践的には「観察君であること」が大切。「やらせる主義」は今も生きている。
7月に初めて、メスを持ったときの緊張感が忘れられない。
2年生 ジュニアレジデント
関連病院での研修、外傷中心で救命救急科の研修(3ヶ月)もある。
外傷中心の病院での研修。Hotな病院、外傷つまり骨折がバンバンくる。手術に明け暮れる毎日。簡単なものからやらせてもらえるので段階的にスキルアップできる。その結果、少しは建設的な手術ができるようになってくる。ここの研修の最終3ヶ月は、救命救急科に配属される。ERの一員となるのである。人の命というものについて考えさせられる期間かもしれない(あまりの当直の多さに、自分の寿命についても考えてしまう)。
3年生 シニア・レジデント
本院での研修にもどり、人工関節(肩・股・膝関節)を中心に学ぶ。勉強不足に悩みながら、日々の仕事もこなす。後輩の指導をするふりをして自分も学ぶ。医師としてのプロ意識が芽生えてくる。周りからも少しは医者として扱われるようになる。給料も少し上がる。
4〜5年生 関連病院での研修、脊椎を中心に学ぶ。
医療上自己判断でやったことが、上司の意向に沿わなくて、失禁するくらい怒られたのもこの頃。何でも自分でできる気になっているが、決して奢り高ぶってはいけない。
6〜7年生 医員昇格、ようやく本採用となる。
再び本院に配属され、専門領域に磨きを掛けることを要求される。また、専門医の資格取得のための勉強もしなくてはならない。ちなみに、当院では、専門医になると当直が少し減る。
7年目以降 日々の診療・手術のほか、臨床研究、レジデントの指導・教育、事務的な仕事など、忙しさは変わらないが、人に教える楽しみ、喜びを知る。
終わりに
今年で11年目になる。自分がどこまで行っているか、相対的にも、絶対的にも評価しがたい。「同じ人生ならたくさんのことを経験したい。外科医であれば、たくさんの手術を経験したい。しなければ、もったいない。」と思っている。その意味からすると、この11年は価値のある年月を過ごしてきた、といえる。
誰にもわからない未来について、漠然とした恐怖や不安から目先の損得勘定をするより、自分の目的を見据え、そこに向かおうとする人間のほうが魅力的にみえる(自戒をこめて)。
ということで、東京警察病院 整形外科 の入局試験は10月末から11月初旬にあります。心に何かを期する方、待っています。
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事務局からのお知らせ
1.
会報に対する寄稿およびご意見などお寄せ下さい。
会報にて取り上げました特集についてのご意見・ご感想および会員の方々の近況報告
などお寄せ下さい。また、会報で取り上げてみたいテーマなどありましたらお教え
下さい。
同期会開催・開業など何でも結構です。同窓会報をご活用ください。
2.
住所・勤務先などの変更がありましたらお知らせ下さい。
会員の方々に連絡が取れなくなってしまいますので、現住所・勤務先・連絡先など変更がありましたら、また情報などご存じの方がおられましたらお知らせ下さい。
3.
会費納入のお願い
終身会費は5万円です。残額がご不明のかたは事務局までお問い合わせ下さい。
振込先: 郵便振替口座:01600−0−35159 高知医大卒業生同窓会

◆ 事務局連絡先 ◆
電話・FAX:088—866−0034
e-mail:dosokaij@kochi-ms.ac.jp
(事務局には常駐しておりませんのでFAX・e-mailでご連絡いただければ幸いです。)
編 集 後 記
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10月1日に国立高知病院と国立療養所東高知病院が統合され新しい国立高知病院としてスタートをきりました。幸運にもこの病院統合に半年も前から立ち会う機械を与えられました。国立の病院は高知医大も含め平成16年の独立行政法人化に向けてその存在意義を問われています。国立高知病院は政策医療として国から与えられたアレルギー・リウマチを病院運営の中心にしていかなければなりません。しかし一方で高知県の医療の中での国立高知病院の果たしていく役割があるはずです。平成16年は高知県・市統合病院もスタートします。高知医大・国立高知・県市統合病院それぞれがどのような役割を果たしていくのでしょうか?
医療資源は有限です。各病院が採算を重視すれば、保険組合が大赤字に陥り結局は地域住民の負担となってしまいます。願わくば各病院が役割分担をもって、そして連携を密に保てるようなシステムになるよう願います。
こんなことを考えていたので12号の発刊と同窓会ホームページの作成が遅れてしまいました。 (国立高知病院 リハ科・整形外科 廣瀬大祐)