
| 当社の歴史 | 周辺の歴史 | ||||
| 明治初期 | ☆ | 宮崎財三郎、山水の屋号をつかって | ☆ | 明治になると生糸や絹織物の輸出が | |
| 絹と木材の仲買をはじめる。 | 盛んになり、群馬からこの周辺で生産 | ||||
| されたものが横浜より外国へ運ばれた。 | |||||
| ☆ | この辺の木材は西川材と呼ばれ、江戸 | ||||
| 時代より東京で消費されていた。 | |||||
| 明治35年 | ☆ | 宮崎艶吉、山水木材店を設立 | ☆ | 手工業の域ではあるが、商工業が盛ん | |
| 大字桃木に製材所と建具の作業場 | になり、ゆとりのある階層が生まれ、街 | ||||
| をつくり、請負業などを行う。 | を形成するようになる。 | ||||
| この年の6月を当社の創業とする。 | |||||
| 大正13年 | ☆ | 埼玉県林産会の第2回展示会で賞 | ☆ | この頃より、県を中心に展示会が行わ | |
| を受ける。 | れるようになる。県主導による産業育 | ||||
| 成が行われだしたと思われる。 | |||||
| 昭和23年 | ☆ | 山水材木店を宮崎木材工業(株)へ | ☆ | 田舎であったため、比較的戦争の被害 | |
| と組織変更する。 | は少なかった。 | ||||
| ☆ | 宮崎徳造社長に就任。 | ☆ | 荷物の運送は人力と馬力がほとんどで | ||
| ☆ | 大字田中に工場を増設し事務所を | あったが、トラックが徐々に普及してくる。 | |||
| 移転する。 | |||||
| 昭和37年 | ☆ | 大字番匠に工場増設 | ☆ | 建具の技術を身につけた人達が、次々 | |
| 38年 | ☆ | 事務所移転 | に独立をして工場をおこす。 | ||
| 39年 | ☆ | 桃木工場を(有)山水木工所に、田 | |||
| 中工場を大字瀬戸に移し山水製材 | |||||
| (有)に分離独立させる。 | |||||
| 45年 | ☆ | ヤマミズ産業(株)に社名変更 | ☆ | 建具の流通において、問屋が大きな役 | |
| 割を果たすようになる。 | |||||
| 52年 | ☆ | 宮崎光雄社長就任 | |||
| ☆ | 機械が大型化して、生産力があがる。 | ||||
| ☆ | NC制御の機械が、バブル経済とともに | ||||
| 平成 7年 | ☆ | 宮崎久治社長就任 | 普及する。 | ||
| ☆ | バブル経済の崩壊とともに建具業界の | ||||
| 14年 | 創立100周年をむかえる | 環境が急にきびしくなる。 | |||